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「太平記」頓宮心替事付畠山道誓事(その1)

若狭の国は、相摸のかみ近年管領くわんりやうの国にて、頓宮四郎左衛門しらうざゑもんかねて在国したりければ、小浜をはま究竟くつきやうじやうを構へて、兵粮数万石積み置きたり。相摸の守ここに落ち付いて、城の構へ勢のほどを見るに、駆け合ひの合戦をするとも、また城に籠もつて戦ふとも、一年二年の内には容易く落とされじものをとぞ思はれける。さるほどに尾張をはり左衛門さゑもんすけ氏頼うぢより、討つ手の大将を承りて、北陸道ほくろくだうの勢三千余騎を率して、越前より椿峠つばきたうげへ向かふ。仁木三郎搦め手の大将を承りて、山陰道せんおんだうの勢二千余騎を率して、丹波より逆谷さかさまたにへ向かふと聞こへければ、相摸の守大きに笑うて、「あな哀れの者どもや。これらを敵に受けては、力者りきしや二三人に杉材棒すぎさいぼう突かせて差し向けたらんに不足あるまじ。先づ敦賀に朝倉某が先打ちにて陣を取つたるを打ち散らせ」とて、中間を八人差し遣はさる。八人の中間ども敦賀の津へ紛れ入り、浜面はまおもての在家十余箇所に火を懸けて、鬨の声をぞ上げたりける。




若狭国は、相摸守(細川清氏きようぢ)が近年管領している国でした、頓宮四郎左衛門がかねて在国していたので、小浜(現福井県小浜市)に堅固な城を構えて、兵粮数万石を積み置いていました。相摸守(細川清氏)はここに落ち付いて、城の構え勢のほどを見れば、駆け合いの合戦をするにしろ、また城に籠もって戦うとも、一年二年の内には容易く落とされぬと思いました。やがて尾張左衛門佐氏頼(六角氏頼)は、討っ手の大将を承り、北陸道の勢三千余騎を率して、越前より椿峠(現福井県三方郡美浜町)に向かいました。仁木三郎(仁木義長よしなが)は搦め手の大将を承り、山陰道の勢二千余騎を率して、丹波より逆谷(現京都府綾部市)に向かうと聞こえると、相摸守(細川清氏)は大笑いして、「なんと哀れな者どもよ。我らを敵にしては、力者([院・門跡・寺院・公家・武家などに仕えて力仕事に携わった従者])二三人に杉材棒を持たせて、差し向けたようなものではないか。まず敦賀に朝倉某が先打ち([馬に乗って隊列の先頭に立って進むこと])して陣を取っておるのを打ち散らせ」と申して、中間([武士の最下級])を八人遣わしました。八人の中間どもは敦賀の津(現福井県敦賀市)へ紛れ入り、浜面の在家十余箇所に火を懸けて、鬨の声を上げました。


続く


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by santalab | 2015-12-29 07:07 | 太平記 | Comments(0)

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