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「太平記」頓宮心替事付畠山道誓事(その2)

朝倉が兵三百余騎鬨の声に驚きて、「すはや相摸のかみの寄せたるは。定めて大勢にてぞあるらん。引いて後陣ごぢんの勢にくはれ」とて、矢の一つをも射ず、朝倉敦賀を引きければ、相伴あひともなふ兵三百余騎、馬物の具を取り捨てて、越前の府へぞ逃げたりける。さればこそ思ひつる事よと、人毎に言ひもてあそぶと沙汰せしかば、尾張をはり左衛門さゑもんすけ大きに怒つて、やがて大勢を率して十月二十九日椿峠へ打ち向かふ。相摸守のこれを聞きて、「今度は一人も敵と言ふ者を生けて遣るまじければ、自身向かはでは叶ふまじ」とて、城には頓宮四郎左衛門しらうざゑもんじようを残し置き、舎弟右馬の助ともに五百余騎にて追手おふての敵に馳せ向かふ。敵陣難所なれば、待ちてや戦ふ、懸かりやすると思安しあんして、いまだ戦ひ決せざるところに、重恩他に異なれば、これぞ二心あるまじき者と頼まれける頓宮四郎左衛門にはかに心替はりして、旗を上げ木戸を打つて寄せ手の勢を後ろより城へ引き入れける間、相摸の守に相従あひしたがつはものども、戦ふべき力尽き果てて、右往左往に落ちて行く。朽ちたる縄を以つて、六馬をば繋ぎて留むるとも、ただ頼み難きこの頃の武士の心なり。




朝倉の兵三百余騎は鬨の声に驚いて、「相摸守(細川清氏きようぢ)が攻めて来たぞ。きっと大勢に違いない。引いて後陣の勢に加われ」と、矢の一つも射ず、朝倉は敦賀(現福井県敦賀市)を引き退いたので、従う兵三百余騎は、馬物の具([武具])を捨てて、越前の府(現福井県越前市)に逃げました。だから申したではないかと、人は皆馬鹿にしているぞと知らせたので、尾張左衛門佐(六角氏頼よりうぢ)はたいそう怒って、すぐに大勢を率して十月二十九日に椿峠(現福井県三方郡美浜町)に向かいました。相摸守(細川清氏)はこれを聞いて、「今度は一人も敵という者は生かして帰す訳にはいかぬ、このわしが向かずにおれようか」と申して、城には頓宮四郎左衛門尉を残し置き、弟の右馬助とともに五百余騎で追っ手の敵に馳せ向かいました。敵陣は難所にありましたので、待って戦うべきか、打って懸かるかと思案して、まだ戦いが起こらぬ前に、重恩他人に勝れて、二心あるとも思えぬ者と頼りにしていた頓宮四郎左衛門がにわかに心替わりして、旗を上げ木戸を打ち破って寄せ手の勢を後ろより城へ引き入れたので、相摸守に従う兵どもは、戦う力も尽き果てて、右往左往に落ち行きました。朽ちた縄で、六馬を繋ぐとも([朽索きゆうさくの六馬をぎよするが如し]=[腐った縄で六頭の馬を操るように、非常に困難で危険なことのたとえ。『書経』])、ただ頼み難いのがこの当時の武士の心でした。


続く


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by santalab | 2015-12-29 07:13 | 太平記 | Comments(0)

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