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「太平記」頓宮心替事付畠山道誓事(その6)

しもとしてかみを退くる嗷訴がうそ下刻上げこくじやうの至りかなと、心中にはいきどほり思はれけれども、この者どもに背かれなば、東国は一日も無為なるまじと思して、やがて畠山が許へ使ひを立て、「去々年上洛しやうらくの時、南方退治たいぢの事は次になつて、もつぱら仁木右京うきやうの大夫を討たんと被謀候ひし事、隠謀のその一つにてあらずや。その後関東くわんとうに下向して、差したる罪科なく諸人の所帯を没収もつしゆせられ候ひける事、ただ世を乱して、基氏もとうぢを天下の人に背かせんとのくはたてにてぞ候ふらん。反逆ほんぎやく方々露顕ろけんの上は一日も門下に跡を留むべからず。退出及遅々、すみやかに討つ手を差し遣はすべし」とぞ言ひ送られける。畠山はその頃鎌倉にありけるが、この上は陳じ申すとも叶ふまじとて、兄弟五人並びに郎従以下引き具して、三百余騎伊豆いづの国を指して落ちて行く。この勢小田原の宿に着きたりける夜、土肥とひ掃部かもんの助、「御敵になつて落つる者に、矢一つ射懸けずと言ふ事やあるべき」とて、主従ただ八騎にて小田原の宿へ押し寄せ、風上より火を懸けて、けぶりの下より斬つて入る。畠山が方に、遊佐ゆさ神保じんぼ・斎藤・杉原、出で向かつて散々に追ひ払ふ。これほど小勢なりけるものをとて、時の興にぞ笑ひ合ひける。




下の者が上を退ける強訴([強硬な態度で相手に訴えかける行動])は、下刻上([室町時代において、社会的に身分の低い者が身分の上位の者を実力で倒す風潮])の最たるものと、心中では怒りを覚えましたが、この者どもに背かれれば、東国は一日も穏やかではあるまいと思い、やがて畠山(畠山国清くにきよ)の許へ使いを立て、「去々年上洛の時、南方(南朝)退治のことは次にして、ひたすら仁木右京大夫(仁木義長よしなが)を討つことを謀ったのは、隠謀([ひそかにたくらむ悪事])のその一つではなかったか。その後関東に下向して、さして罪科もなく諸人の所帯を没収しておるのは、ただ世を乱して、この基氏(足利基氏。足利尊氏の四男。初代鎌倉公方)を天下の人に背かせようとの企てであろう。反逆方々露顕の上は一日も門下に跡を留めることはならぬ。早々に退出しなければ、すみやかに討っ手を差し遣わす」と伝えました。畠山(国清)はその頃鎌倉にいましたが、この上は陳じ申すとも叶うまいと、兄弟五人並びに郎従([家来])以下を引き連れて、三百余騎で伊豆国を指して落ちて行きました。この勢が小田原宿(現神奈川県小田原市)に着いた夜、土肥掃部助は、「敵になって落ちて行く者に、矢の一つも射懸けずということがあってよいものか」と、主従ただ八騎で小田原宿へ押し寄せ、風上より火を懸けて、煙の中を斬って入りました。畠山方に、遊佐・神保・斎藤・杉原という者どもが、出で向かって散々に追い払いました。これほどの小勢なる者に何が出来ようと、時の興と笑い合いました。


続く


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by santalab | 2015-12-29 09:31 | 太平記 | Comments(0)

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