Santa Lab's Blog


「太平記」主上・上皇御沈落事(その11)

中吉ながぎりはかりごとに道開けて、主上しゆしやうその日は篠原しのはらの宿に着かせ給ふ。ここにて怪しげなる網代あじろの輿をたづね出だして、歩立かちだちなる武者どもにはかに駕輿丁かよちやうの如くに成つて、御輿の前後をぞ仕りける。天台の座主ざす梶井かぢゐ二品親王にほんしんわうは、これまで御供申させ給ひたりけるが、行くすゑとても道のほど心安く可過とも思えさせ給はねば、いづくにもしばし立ち忍ばばやと思し召して、「御門徒に誰かさぶらふ」と御たづねありけれども、「去んぬる夜の路次ろしの合戦に、あるひは疵をかうむつて留まり、あるひは心替こころがはりして落ちけるにや。中納言僧都そうづ経超きやうてう二位にゐ寺主てらじ浄勝じやうしよう二人ににんより外ほかは供奉ぐぶ仕りたる出世しゆつせ坊官ばうくわん一人も候はず」とまうしければ、さては殊更長途ちやうど逆旅げきりよ叶ふまじとて、これより引き別れて、伊勢の方へぞ赴かせ給ひける。




中吉(十郎)の謀に道は開けて、主上(北朝初代、光厳くわうごん天皇)はその日篠原宿(現滋賀県近江八幡市)に着きました。ここで粗末な網代([檜のへぎ板・竹・葦などを,斜めまたは縦横に組んだもの])の輿を探し出して、歩きの武者どもがたちまち駕輿丁([貴人の駕籠や輿を担ぐ人])のように、輿の前後を勤めました。天台座主梶井二品親王(第九十三代後伏見天皇の第六皇子、承胤しよういん法親王)は、ここまで供をいておりましたが、行く末とても道中安全だとも思えませんでしたので、どこにでもしばらく忍んでいようと思われて、「門徒の者が誰かおるか」と訊ねましたが、「さる夜の路次の合戦で、あるいは疵を負って留まり、あるいは心替わりして落ちたのでしょうか。中納言僧都経超、二位の寺主浄勝二人のほかは供奉をしております出世([僧])・坊官は一人もおりません」と申したので、ならばとても長途の逆旅([旅])は叶うまいと、これより引き分かれて、伊勢の方に向かいました。


続く


[PR]
by santalab | 2015-12-31 08:16 | 太平記 | Comments(0)

<< 明日に向かって走れ(言葉拙くて)      「太平記」新将軍京落事(その2) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧