人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「太平記」赤坂合戦の事付人見本間抜懸の事(その6)

一の木戸を固めたるつはもの五十ごじふ余人、その心ざし孝行にして、相向あひむかふところやさしくあはれなるを感じて、すなはち木戸を開き、逆茂木さかもぎを引き退けしかば、資忠すけただ馬に打ち乗り、城中へ懸け入つて、五十ごじふ余人の敵と火を散らしてぞ切り合ひける。遂に父が被討しそのあとにて、太刀を口にくはへてうつぶしにたふれて、貫かれてこそ失せにけれ。しいかな、父の資貞すけさだは、無双ぶさうの弓矢取りにて国の為に要須えうしゆたり。また子息資忠すけただは、ためしなき忠孝の勇士にて家の為に栄名あり。人見は年老いよはひ傾きぬれども、義を知りてめいを思ふ事、時と共に消息せうそくす。この三人同時に討ち死にしぬと聞こへければ、知るも知らぬもし並べて、歎かぬ人はなかりけり。




一の木戸を固めていた兵五十余人は、孝行を心ざして、向かって来たことに哀れみを感じて、すぐに木戸を開き、逆茂木を引き退けました、資忠(本間資忠)は馬に打ち乗り、城中へ駆け入って、五十余人の敵と火を散らして切り合いました。遂に父が討たれたその場所で、太刀を口に咥えてうつ伏せに倒れて、太刀に貫かれて失せました。惜しいことでした、父の資貞(本間資貞)は、無双の弓矢取りで国にとっての要須([無くてはならないもの])でした。また子息資忠は、他にない忠孝の勇士で一家にとっての栄名([輝かしい名誉])でした。人見(人見光行みつゆき)は年老い齢は傾いていましたが、義を知り命を思う人柄は、時とともに知られるようになりました。この三人が同時に討ち死にしたと聞こえて、知るも知らぬも押しなべて、悲しまない人はいませんでした。


続く


by santalab | 2016-01-01 10:29 | 太平記

<< 「太平記」赤坂合戦の事付人見本...      「太平記」赤坂合戦の事付人見本... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧