一の木戸を固めたる兵五十余人、その心ざし孝行にして、相向かふところやさしく哀れなるを感じて、すなはち木戸を開き、逆茂木を引き退けしかば、資忠馬に打ち乗り、城中へ懸け入つて、五十余人の敵と火を散らしてぞ切り合ひける。遂に父が被討しその迹にて、太刀を口に呀へて覆しに倒れて、貫かれてこそ失せにけれ。惜しいかな、父の資貞は、無双の弓矢取りにて国の為に要須たり。また子息資忠は、例なき忠孝の勇士にて家の為に栄名あり。人見は年老い齢傾きぬれども、義を知りて命を思ふ事、時と共に消息す。この三人同時に討ち死にしぬと聞こへければ、知るも知らぬも押し並べて、歎かぬ人はなかりけり。
一の木戸を固めていた兵五十余人は、孝行を心ざして、向かって来たことに哀れみを感じて、すぐに木戸を開き、逆茂木を引き退けました、資忠(本間資忠)は馬に打ち乗り、城中へ駆け入って、五十余人の敵と火を散らして切り合いました。遂に父が討たれたその場所で、太刀を口に咥えてうつ伏せに倒れて、太刀に貫かれて失せました。惜しいことでした、父の資貞(本間資貞)は、無双の弓矢取りで国にとっての要須([無くてはならないもの])でした。また子息資忠は、他にない忠孝の勇士で一家にとっての栄名([輝かしい名誉])でした。人見(人見光行)は年老い齢は傾いていましたが、義を知り命を思う人柄は、時とともに知られるようになりました。この三人が同時に討ち死にしたと聞こえて、知るも知らぬも押しなべて、悲しまない人はいませんでした。
(続く)