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「太平記」赤坂合戦の事付人見本間抜懸の事(その7)

既に先懸けのつはものども、抜け抜けに赤坂の城へ向かつて、討ち死にする由披露ありければ、大将すなはち天王寺てんわうじを打ち立つて馳せ向かひけるが、上宮じやうぐう太子の御前おんまへにて馬より下り、石の鳥居を見給へば、左の柱に、

花さかぬ 老木の桜 朽ちぬとも その名は苔の 下に隠れじ

と一首の歌を書いて、その次に、「武蔵の国くにの住人ぢゆうにん人見四郎恩阿おんあ生年しやうねん七十三、正慶しやうきやう二年二月二日、赤坂の城へ向かつて、武恩を報ぜん為に討ち死に仕りをはんぬ」とぞ書いたりける。




すでに先駆けの兵どもが、抜け抜けに赤坂城(現大阪府南河内郡千早赤阪村にあった山城)へ向かって、討ち死にしたと聞こえたので、大将(北条治時はるとき)はすぐに天王寺(現大阪市天王寺区にある四天王寺)に打ち立ち馳せ向かいました、上宮太子(聖徳太子)の御前で馬より下り、石の鳥居を見れば、左の柱に、

花も咲かぬ老い木の桜は朽ちるとも、その名は苔の下([草葉の陰])に埋もれることはあるまい。

と一首の歌を書いて、その次に、「武蔵国の住人人見四郎恩阿(人見光行みつゆき)、生年七十三、正慶二年(1333)二月二日、赤坂城へ向かって、武恩に報ずるために討ち死にする」と書いてありました。


続く


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by santalab | 2016-01-01 10:33 | 太平記 | Comments(0)

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