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「太平記」三浦大多和合戦意見の事(その2)

義勝よしかつ重ねてまうしけるは、「今日の軍には治定ぢぢやう可勝謂はれ候ふ。その故は、昔秦と楚と国を争ひける時、楚の将軍武信君ぶしんくん、わづかに八万余騎の勢を以つて、秦の将軍李由りいう八十万騎はちじふまんぎの勢に打ち勝ち、首を切る事四十しじふ余万なり。これより武信君心驕り軍おこたつて秦の兵を恐るるに不足と思へり。楚の副将軍に宋義そうぎと云ひける兵これを見て、『戦ひに勝つてしやう驕り卒おこたる時は必ず破ると云へり。武信君今如此。不亡何をか待たん』とまうしけるが、果たして後の軍に、武信君しんの左将軍章邯しやうかんが為に被討て忽ちに一戦に亡びにけり。義勝昨日きのふ潛かに人を遣はして敵の陣を見するに、その将驕れる事武信君に不異。これすなはち宋義が謂ひしところに不違。所詮明日の御合戦には、義勝荒手にて候へば一方のさきうけたまはつて、敵を一当て当てて見候はん」と申しければ、義貞まことに心に服し、よろしきに随ひ、則ち今度の軍の成敗をば三浦平六左衛門にぞ被許ける。




義勝(三浦義勝)が重ねて申すには、「今日の軍には治定([決まっていること])勝つ所以がございます。それは、昔秦と楚が国を争っていた時、楚の将軍武信君([項梁こうりよう。中国秦時代の武将])が、わずかに八万余騎の勢で、秦の将軍李由(章邯しようかん?)の八十万騎の勢に打ち勝ち、首を切ること四十余万でした。これより武信君は心驕り軍を怠って秦の兵を恐るに足りぬと思うようになりました。楚の副将軍に宋義という兵はこれを見て、『戦いに勝って大将が驕り兵卒が怠ける時は必ず敗れるといわれます。武信君の今がそうです。亡びぬわけがありません』と申しましたが、果たして後の軍で、武信君は秦の左将軍章邯に討たれてたちまち一戦に亡びました。義勝は昨日ひそかに人を遣わして敵陣を見させましたが、敵の大将の驕りは武信君のようなものでした。これすなわち宋義が申した通りでございます。明日の合戦には、この義勝新手でございますれば一方の先陣を承り、敵を一当て当てましょうぞ」と申せば、義貞(新田義貞)はまことに感服し、思うとおり軍せよと、たちまち今度の軍の成敗を三浦平六左衛門(義勝)に与えました。


続く


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by santalab | 2016-01-03 07:57 | 太平記 | Comments(0)

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