また右の柱を見れば、
待てしばし 子を思ふ闇に 迷ふらん 六つの街の 道しるべせん
と書いて、「相摸の国の
住人本間九郎
資貞が嫡子、源内兵衛
資忠生年十八歳、
正慶二年
仲春二日、父が死骸を枕にして、同じ
戦場に命を止め
畢ぬ」とぞ書いたりける。父子の恩義君臣の忠貞、この二首の歌に
顕はれて、骨は
化して
黄壌一堆の
下に朽ちぬれど、名は留まつて青雲九天の上に高し。されば今に至るまで、石碑の上に消え残れる
三十一字を見る人、
感涙を流さぬはなかりけり。
また右の柱を見れば、
しばらく待っていてください。子を思う闇に迷っておられることでしょう。わたしが六つの街([六道])の道しるべとなりますから。
と書いて、「相摸国の住人本間九郎資貞(本間資貞)の嫡子、源内兵衛資忠(本間資忠)生年十八歳、正慶二年(1333)仲春([陰暦二月])二日、父の死骸を枕にして、同じ戦場に命を終える」と書いてありました。父子の恩義君臣の忠貞、この二首の歌に現れて、骨は化して黄壌一堆([塚])の下に朽ちましたが、名は青雲九天([九天]=[天])の上に高く留まりました。こうして今に至るまで、石碑の上に消え残る三十一字を見る人は、感涙を流さぬ者はいませんでした。
(続く)