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「太平記」三浦大多和合戦意見の事(その3)

明くれば五月十六日の寅の刻に、三浦四万しまん余騎が真つ前に進んで、分陪ぶんばい河原かはらへ押し寄する。敵の陣近く成るまでわざと旗の手をも不下、鬨の声をも不挙けり。これは敵を出し抜いて、手攻てづめの勝負を為決なり。如案敵は前日数箇度すかどの戦ひに人馬皆疲れたり。そのうへ今敵可寄共不思懸ければ、馬に鞍をも不置、物の具をも不取調、あるひは遊君いうくんに枕を双べて帯紐おびひぼを解いて臥したる者あり、あるひは酒宴にひを被催て、前後を不知寝たる者もあり。ただ一業所感いちごふしよかんの者どもが招自滅不異。ここに寄せ手相近付くを見て、河原面かはらおもてに陣を取つたる者、「只今面より旗を巻いて、大勢のしづかに馬を打つて来たれば、もし敵にてやあらん。御要心ごえうじん候へ」と告げたりければ、大将を始めて、「さる事あり、三浦大多和おほたわが相摸の国勢をもよほして、御方へ馳せ参ずると聞こへしかば、一定いちぢやう参つたりと思ゆるぞ。懸かる目出度き事こそなけれ」とて、驚く者一人もなし。とにもかくにも、運命の尽きぬるほどこそ浅ましけれ。




明ければ五月十六日の寅の刻([午前四時頃])に、三浦(三浦義勝よしかつ)四万余騎が真っ先に進んで、分陪河原(現東京都府中市)に押し寄せました。敵の陣近くになるまでわざと旗の手を下さず、鬨の声も上げませんでした。これは敵を出し抜いて、手攻め(謀略を用いた?)の勝負を決するためでした。思ったとおり敵は前日の数箇度の戦いで人馬とも皆疲れていました。その上すぐに敵が攻め寄せるとは思いもかけず、馬には鞍も置かず、物の具([武具])を取り散らかして、ある者は遊君([遊女])と枕を並べて帯紐を解いて伏す者もあり、ある者は酒宴に酔いつぶれて、前後不覚で寝ている者もいました。ただ一業所感([人はいずれも、同一の善悪の業ならば同一の課を得るということ])の者どもが自滅を招いたというほかありませんでした。寄せ手が近付くのを見て、河原面に陣を取った者が、「ただ今面より旗を巻いて、大勢の兵がしずかに馬を打ってやって来ます、もしや敵ではないでしょうか。用心されますよう」と告げると、大将(北条泰家やすいへ)をはじめ、「そんなことがあるか、三浦大多和が相摸の国勢を集めて、味方に馳せ参ずると聞いておる、きっとそれが参ったのであろう。めでたいことではないか」と申して、驚く者は一人もいませんでした。何にせよ、運命が尽きるのに気付かないことが残念でした。


続く


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by santalab | 2016-01-04 07:35 | 太平記 | Comments(0)

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