Santa Lab's Blog


「太平記」笠置囚人死罪流刑の事付藤房卿の事(その4)

かくて日すでに暮れければ、御輿指し寄せて乗せ奉り、海道かいだうより西なる山際やまぎはに、松の一叢ひとむらあるもとに、御輿を舁き据ゑたれば、敷皮しきがはの上に居直ゐなほらせ給ひて、また硯を取り寄せ、閑々しづしづと辞世のじゆをぞ被書ける。

逍遥生死。
四十二年。
山河一革。
天地洞然。
六月十九日それがし

と書いて、筆をなげうつて手をあざへ、座をなをし給ふとぞ見へし。田児たごの六郎左衛門さゑもんじよう、後ろへまはるかと思へば、御首は前にぞ落ちにける。あはれと云ふもおろかなり。入道泣く泣く遺骸ゆゐがいけぶりとなし、様々の作善さぜんを致してぞ菩提を奉祈ける。いとしきかな、このきやうは先帝そつの宮とまうし奉りし頃より近侍して、朝夕てうせきの拝礼不怠、昼夜ちうや勤厚きんこう異于他。されば次第に昇進しようじんも不滞、君の恩寵も深かりき。今かく失せ給ひぬと叡聞に達せば、いかばかり哀れにも思し召されんずらんと思へたり。




こうして日もすでに暮れると、輿を差し寄せて(北畠具行ともゆきを)乗せて、東海道の西の山際に、松が一叢ある下に、輿を下ろせば、具行は敷皮の上に座を正して、また硯を取り寄せ、静かに辞世の頌を書きました。

この世に生まれて、
わずか四十二年の命であった。
山河はどこまでも連なり、
天地はどこまでも続いておるのに比べればほんのわずかのことであったことよ。
六月十九日某

と書いて、筆を置くと手を組み、座を直すように見えました。田児六郎左衛門尉が、後ろに廻ったかと思えば、首は前に落ちました。哀れと言うも愚かなことでした。入道(佐々木道誉だうよ)は泣く泣く遺骸を煙となし、様々の作善を致して菩提([死後の冥福])を祈りました。惜しむべきことでした、具行卿は先帝(第九十六代後醍醐天皇)が帥の宮と申した頃より近侍して、朝夕の拝礼を怠ることなく、昼夜の勤厚も格別でした。そして次第に昇進を重ねて、君の恩寵も深いものでした。今こうして失せたと聞かれたならば、どれほど哀れに思われることかと思えました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-01-04 21:06 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」三浦大多和合戦意見の...      「太平記」笠置囚人死罪流刑の事... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧