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「太平記」笠置囚人死罪流刑の事付藤房卿の事(その5)

同じ二十一日殿法印良忠りやうちゆうをば大炊御門油小路おほゐのみかどあぶらのこうぢかがり、小串五郎兵衛ごらうびやうゑ秀信ひでのぶ召し捕りて六波羅へ出だしたりしかば、越後ゑちごかみ仲時なかとき、斉藤十郎兵衛を使ひにて被申けるは、「この頃一天の君だにも叶はせ給はぬ御謀反を、御身なんど思ひ立ち給はん事、かつうは無止、かつうは楚忽にこそ思えて候へ。先帝奪ひまゐらせん為に、当所たうしよ絵図ゑづなんどまで持ちまはられさふらひける条、武敵ぶてきの至り重科ぢゆうくわ無双、隠謀のくはだて罪責有余。はかりごとの次第一々に被述候へ。つぶさに関東くわんとうへ可注進」とぞのたまひける。法印返事せられけるは、「普天の下無非王土、率土そつとの人無非王民。誰か先帝の宸襟を歎き奉らざらん。人たる者これを喜ぶべきや。叡慮に代はつて玉体を奪ひ奉らんとくはだつる事、なじかは可無止。為誅無道、隠謀を企つる事更に非楚忽儀。始めより叡慮の趣きを存知し、笠置かさぎ皇居くわうきよへ参内せし条無子細。しかるを白地あからさま出京しゆつきやうの跡に、城郭無固、官軍くわんぐん敗北のあひだ、無力本意を失へり。そのあひだ具行卿ともゆききやう相談して、綸旨をまうし下し、諸国のつはものくばりし条勿論もちろんなり。あるほどの事はこれらなり」とぞ返答せられける。




同じ六月二十一日殿法印良忠を大炊御門油小路の篝屋([守護の詰め所。また、そこに詰めた武士])、小串五郎兵衛秀信が召し捕って六波羅探題に突き出しました、越後守仲時(北条仲時。鎌倉幕府最後の六波羅探題北方)は、斉藤十郎兵衛を使いにして申すには、「この頃では一天の君([天皇])でさえ叶わぬ謀反を、その分際で思い立つなど、やむをえないことであったにせよ、楚忽([軽はずみなこと])というほかない。先帝(第九十六代後醍醐天皇)を奪うために、六波羅の絵図([地図])まで持ち歩くとは、乱暴にもほどがありその重科は他に比べくもなく、隠謀の罪責は余りある。謀略の次第をすべて白状せよ。残らず関東に注進([事件を記して急ぎ上申すること])すべし」と申しました。法印の返事には、「普天([天])の下は王土にして、率土の人は王民ではないのか。先帝の宸襟([天子の心])を嘆かぬ者があろうか。よろこぶべきことであろうはずもない。叡慮に代わって玉体を奪おうと企てたことは、つまらぬことではないぞ。無道([道理に合わないこと])の者を誅するために、隠謀を企てたのは楚忽なんぞではない。初めより叡慮を知って、笠置(現京都府相楽郡笠置町)の皇居に参内したことが何の罪になろうや。にもかかわらず出京の後は城郭も固めず、官軍は敗北して、力なく本意を失した。だから具行卿(北畠具行)と相談して、綸旨を賜り、諸国の兵に届けたのだ当然のことをしたまでのことよ。わしがなしたことはこれですべてじゃ」と返答しました。


続く


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by santalab | 2016-01-05 07:42 | 太平記 | Comments(0)

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