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「太平記」関東大勢上洛事(その4)

中にも長崎悪四郎左衛門しらうざゑもんじようは、別してさぶらひ大将をうけたまはつて、大手おほてへ向かひけるが、わざと己が勢の程を人に被知とや思ひけん。一日引き下がりてぞ向かひける。その行妝かうさう見物の目をぞ驚かしける。先づ旗差し、その次に逞しき馬に厚総あつぶさ懸けて、一様いちやうよろひ着たるつはもの八百余騎、二町にちやう計り先立てて、馬を静めて打たせたり。我が身はその次に纐纈かうけつ鎧直垂よろひひたたれに、精好せいがう大口おほくちを張らせ、紫下濃むらさきすそごの鎧に、白星しらぼしの五枚兜に八竜を金にて打つて付けたるを猪頚ゐくびに着成し、しろがねみがき付けの脛当すねあてに金作こがねづくりの太刀に振りいて、一の部黒へいぐろとて、五尺三寸ありける坂東一の名馬に塩干潟しほひがたの捨て小舟をぶね金貝かながひりたる鞍を置いて、款冬やまぶき色の厚総懸けて、三十六さんじふろくいたる白磨しらすりの銀筈しろがねはず大中黒おほなかぐろの矢に、本滋藤もとしげどうの弓の真つ中握つて、小路こうぢせばしと歩ませたり。片小手に腹当てして、諸具足したる中間ちゆうげん五百余人、二行にがうに列を引き、馬の前後に随つて、しづかに路次ろしをぞ歩みける。




中でも長崎悪四郎左衛門尉(長崎高貞たかさだ)は、とりわけ侍大将を命じられて、大手([敵の正面を攻撃する軍勢])に向かいましたが、わざと己の勢のほどを人に知らせようと思ったのか。一日間を置いて向かいました。その行妝([旅行の際の服装])は見物人の目を驚かすほどでした。先頭に旗差し、その次にはたくましい馬に厚総([馬具で、面繋おもがい胸繋むながい・尻繋の各部につけた糸の総を特に厚く垂らしたもの])を懸け、一様([全部同じ様子であること])の鎧を着た兵八百余騎を、二町ばかり先立てて、馬を静めて打たせていました。我が身(長崎高貞)はその次に纐纈([絞り染め])の鎧直垂([鎧の下に着る着物])に、精好([精好織り]=[縦糸に練り糸または生糸を密にかけ、横糸に太い生糸を織り入れて固く緻密に織った平絹])の大口([袴])を履き、紫下濃([裾濃]=[衣服の染め方で、上方を淡く、下方にゆくにしたがって次第に濃く染めた物])の鎧に、白星([兜の星の、銀色のもの])の五枚兜([五段のしころを下げた兜])に八竜を金で打って付けたのを猪頚([兜を後ろにずらして、少しあみだにかぶること])に着なし、銀の瑩き付けの脛当てに黄金作りの太刀([太刀の金具を金銅づくりにしたもの])を佩いて、一部黒という、五尺三寸ある坂東一の名馬に塩干潟の捨て小舟を金貝([金・銀・スズ・鉛などの薄い金属板を文様に切ったもの])に磨り込んだ鞍を置いて、山吹色の厚総を懸けて、三十六本差した白磨りの銀筈の大中黒([鷲の矢羽根で、中央部の黒いが大きいもの])の矢に、本滋藤の弓の真ん中を握って、小路を狭しと歩ませました。片小手に腹当て([鎧の一])して、諸具足に身を固めた中間([従者のうち侍の下の者])五百余人が、二列に並び、馬の前後に従って、しずしずと路次を歩みました。


続く


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by santalab | 2016-01-06 07:01 | 太平記 | Comments(0)

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