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「太平記」直義追罰の宣旨御使の事付鴨社鳴動の事(その1)

同じき八月十八日、征夷将軍源二位大納言尊氏たかうぢきやう、高倉入道左兵衛さひやうゑかみ追討つゐたうの宣旨を賜つて、近江あふみの国に下着して鏡の宿に陣を取る。都を被立時まではその勢わづかに三百騎にも不足けるが、佐々木の佐渡の判官入道はうぐわんにふだう道誉だうよ・子息近江あふみかみ秀綱ひでつなは、当国勢三千余騎を率して馳せ参る。仁木右馬のごんかみ義長よしながは伊賀・伊勢の兵四千余騎を率して馳せ参る。土岐刑部ぎやうぶ少輔せう頼康よりやすは、美濃の国の勢二千余騎を率して馳せ参りける間、その勢無程一万余騎に及ぶ。今はいかなる大敵に戦ふとも、勢の不足とは不見けり。




同じ観応元年(1350)八月十八日、征夷将軍源二位大納言尊氏卿(足利尊氏)は、高倉入道左兵衛督(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)追討の宣旨を賜わり、近江国に下着して鏡宿(現滋賀県蒲生郡竜王町)に陣を取りました。都を立った時にはその勢わずかに三百騎にも足りませんでしたが、佐々木佐渡判官入道道誉(佐々木道誉)・子息近江守秀綱<(佐々木秀綱)が、当国勢三千余騎を率して馳せ参りました。仁木右馬権頭義長(仁木義長)は伊賀・伊勢の兵四千余騎を率して馳せ参りました。土岐刑部少輔頼康(土岐頼康)は、美濃国の勢二千余騎を率して馳せ参ったので、その勢はほどなく一万余騎に及びました。今はいかなる大敵と戦うとも、勢の不足とは思えませんでした。


続く


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by santalab | 2016-01-06 19:42 | 太平記 | Comments(0)

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