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「太平記」赤橋相摸守自害の事付本間自害の事(その1)

懸かりけるところ、赤橋相摸のかみ、今朝は州崎すさきへ被向たりけるが、この陣のいくさ強くして、一日一夜いちじついちやのその間に、六十五度まで切り合ひたり。されば数万騎ありつる郎従らうじゆうも、討たれ落ち失するほどに、わづかに残るその勢せい三百さんびやく余騎よきにぞ成りにける。さぶらひ大将にて同陣にさふらひける南条左衛門高直たかなほに向かつてのたまひけるは、「漢・楚八箇年の戦ひに、高祖かうそ度ごとに討ち負け給ひしかども、一度ひとたび烏江をうがういくさに利を得てかへつて項羽かううを被亡き。せいしん七十度の戦ひに、重耳ちようじ更に勝つ事なかりしかども、つひ斉境せいきやうの戦ひに打ち勝つて、文公国を保てり。されば万死を出でて一生いつしやうを得、百回ももたび負けて一戦いつせんに利あるは、合戦の習ひなり。今この戦ひに敵いささか勝つに乗るに以たりといへども、さればとて当家の運今日にきはまりぬとは思えず。




その頃、赤橋相摸守(北条守時もりとき。鎌倉幕府第十六代執権)は、今朝は州崎に向かっていましたが、この陣の軍は激しく、一日一夜の間に、六十五度まで切り合いました。こうして数万騎いた郎従([家来])も、討たれ落ちていなくなり、わずかに残る勢は三百余騎になりました。侍大将として同じ陣にいる南条左衛門高直(南条高直)に向かって申すには、「漢・楚八箇年の戦いに、高祖(劉邦。前漢初代将軍)は戦う度に討ち負けたが、ただ一度烏江(現安徽省)の軍に勝って項羽を亡した。斉・晋七十度の戦いに、重耳(文公。晋の君主)はまったく勝つことがなかったが、遂に斉境の戦いに打ち勝って、文公国(晋)を保ったのだ。なれば万死を出て一生を得、百回負けて一戦に勝つのが、合戦の習いぞ。今この戦いに敵はいささか勝つに乗っておるようだが、ならばとて当家の運が今日に窮まるとも思えぬ。


続く


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by santalab | 2016-01-11 08:15 | 太平記 | Comments(0)

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