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「太平記」赤橋相摸守自害の事付本間自害の事(その2)

雖然盛時もりときに於いては、一門の安否を見果つる迄までなく、この陣頭にて腹を切らんと思ふなり。その故は、盛時足利殿に女性方によしやうがたの縁に成りぬる間、相摸殿を奉始、一家いつけの人々、さこそ心をも置き給ふらめ。これ勇士の所恥なり。かの田広先生でんくわうせんじやうは、燕丹えんたんに被語はし時、『この事漏らすな』と云はれて、為散其疑、命を失うて燕丹が前に死したりしぞかし。この陣戦ひ急にして兵皆疲れたり。我なんの面目かあつて、固めたる陣を引いてしかも嫌疑けんぎうちにしばらく命を可惜」とて、戦ひいまだ半ばならざる最中に、帷幕ゐばくの中に物の具脱ぎ捨てて腹十文字じふもんじに切り給ひて北枕にぞ臥し給ふ。南条これを見て、「大将すでに御自害ある上は士卒じそつれが為に命を可惜。いでさらば御伴申さん」とて、続いて腹を切りければ、同志のさぶらひ九十くじふ余人、いやがうへに重なり伏して、腹をぞ切つたりける。さてこそ十八日の暮れほどに州崎すさき一番に破れて、義貞よしさだ官軍くわんぐん山内やまのうちまで入りにけり。




とは申せこの盛時(北条守時。鎌倉幕府第十六代執権)は、一門の安否を見果てることなく、この陣頭で腹を切ろうと思うておる。その訳は、この守時は足利殿(足利高氏)には女性方の縁(高氏の正室は、守時の妹、赤橋登子なりこ)になって、相摸殿(北条高時たかとき。鎌倉幕府第十四代執権)をはじめ、一家の人々は、それは気にかけておられた。これこそ勇士の恥ではないか。かの田広先生(田光)は、燕丹(燕太子丹。燕の王族)に(秦への対応策を)相談した時、『このことを漏らすでないぞ』と言われて、その疑いを晴らすために、自害して燕丹の前で死んだそうだ。この陣の戦いはめまぐるしく兵は皆疲れておる。我に何の面目があるというのか、固めた陣を引いてまで嫌疑([犯罪の事実があるのではないかという疑い])の内にしばらくの命を惜しむべきぞ」と申して、戦いまだ決着が付かない最中に、帷幕([陣営])の中に物の具([武具])を脱ぎ捨てて腹を十文字に切って北枕に臥しました。南条(南条高直たかなほ)はこれを見て、「大将がすでに自害された以上士卒であるわたしが誰のために命を惜しむことがあろうや。さあお伴申す」と、続いて腹を切ったので、同志の侍九十余人は、いやが上に腹を切って重なり、臥しました。こうして(元弘三年(1333)五月)十八日の暮れほどに州崎が一番に破れて、義貞(新田義貞)の官軍は山内(山ノ内。現神奈川県鎌倉市)に入りました。


続く


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by santalab | 2016-01-12 08:09 | 太平記 | Comments(0)

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