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「太平記」天下怪異の事(その5)

古津こづ石地蔵いしぢざうを過ぎさせ給ひける時、夜は早やほのぼのと明けにけり。ここにて朝餉あさがれひ供御ぐごを進めまうして、先づ南都の東南院とうなんゐんへ入らせ給ふ。かの僧正そうじやう元より二心なき忠義を存ぜしかば、先づ臨幸りんかうなりたるをば披露せで衆徒しゆとの心を伺ひ聞くに、西室にしむろ顕実けんじつ僧正は関東くわんとうの一族にて、権勢の門主もんじゆたる間、皆その威にや恐れたりけん、与力する衆徒もなかりけり。かくては南都の皇居くわうきよ叶ふまじとて、翌日二十六日、和束わつか鷲峯山じゆぶうせんへ入らせ給ふ。ここはまた余りに山深く里とほうして、何事の計畧も叶ふまじき処なれば、要害えうがい御陣ごぢんを召さるべしとて、同じき二十七日潛幸せんかうの儀式を引き繕ひ、南都の衆徒少々せうせう召し具せられて、笠置かさぎ石室いはや臨幸りんかうなる。




古津石地蔵(現京都府相楽郡木津町)を過ぎる頃には、夜がほのぼのと明けました。ここで朝餉([天皇の日常の食事])の供御([飲食物])を勧めて、まず南都の東南院(現奈良県吉野郡吉野町にある寺院) に入られました。かの僧正は元より二心ない忠義がありましたので、まず臨幸のことは知らせずに衆徒([僧])の心を伺い聞くと、西室の顕実僧正は関東の一族で、権勢の門主でした、皆その威に恐れをなしたのか、与力する衆徒はいませんでした。これでは南都の皇居は叶うまいと、翌日八月二十六日に、和束(現京都府相楽郡和束町)の鷲峯山(金胎寺)に入られました。ここはまあまりに山深く里は遠く、何事の計略に及ぶ所ではありませんでしたので、要害に陣を置くべしと、同じ八月二十七日に潛幸の儀式をなして、南都の衆徒を召し具して、笠置(現京都府相楽郡笠置町)の石室に臨幸されました。


続く


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by santalab | 2016-01-13 13:41 | 太平記 | Comments(0)

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