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「太平記」稲村崎成干潟事(その1)

去るほどに、極楽寺の切通きりどほしへ被向たる大館おほたち次郎宗氏むねうぢ、本間に被討て、つはものども片瀬・腰越まで、引き退きぬと聞こへければ、新田義貞逞兵ていへい二万余騎を率して、二十一日の夜半ばかりに、片瀬・腰越を打ちまはり、極楽寺坂へ打ち臨み給ふ。明け行く月に敵の陣を見給へば、北は切通しまで山高く路けはしきに、木戸を構へ垣楯かいだてを掻いて、数万すまんつはもの陣を並べて並居なみゐたり。南は稲村崎にて、沙頭しやとうせばきに、浪打ちぎはまで逆茂木さかもぎを繁く引き懸けて、沖四五町しごちやうが程に大船どもを並べて、櫓を掻きて横矢に射させんと構へたり。




やがて、極楽寺(現神奈川県鎌倉市)の切通しに向かった大館次郎宗氏(大館宗氏)は、本間(本間山城左衛門)に討たれて、兵どもは片瀬(現神奈川県藤沢市)・腰越(現神奈川県鎌倉市)まで、引き退いたと聞こえたので、新田義貞は逞兵([たくましく勇ましい兵])二万余騎を率して、二十一日の夜半ほどに、片瀬・腰越を廻って、極楽寺坂へ向かいました。明け行く月に敵陣を見れば、北は切通しまで山高く険しい道が続いて、その先には木戸を構え垣楯を設けて、数万の兵が陣を並べ充満していました。南は稲村ヶ崎で、沙頭([砂浜])は路は狭い上に、浪打ち際まで逆茂木([敵の侵入を防ぐために、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べ、結び合わせた柵])を幾重にも設けて、沖四五町に渡り大船を並べ、櫓を立て横矢に射ようと待ち構えていました。


続く


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by santalab | 2016-01-14 07:14 | 太平記 | Comments(0)

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