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「太平記」主上義詮没落事付佐々木秀綱討死事(その1)

義詮よしあきら朝臣は、兼ねて佐々木の近江あふみかみ秀綱ひでつなを警固に備ふれば、東坂本の事心安かるべし。ここにて国々の勢をも催さんと議されけるが、吉野殿より大慈院だいじゐんの法印を大将の為に山門へ呼び寄せたりと沙汰しける間、坂本を皇居くわうきよになされん事悪しかるべしとて、義詮朝臣竜駕りようがを守護し奉て、東近江ひがしあふみへ落ち給ふ。行幸の供奉ぐぶには、二条にでうさき関白左大臣くわんばくさだいじん三条さんでうの大納言実継さねつぐ西園寺さいをんじ大納言実俊さねとし裏築地うらつぢ大納言忠秀ただひで・松殿大納言忠嗣ただつぐ大炊御門おほひのみかど中納言家信いへのぶ四条しでうの中納言隆持たかもち菊亭きくてい中納言公直きんなほ花山院くわざんのゐんの中納言兼定かねさだ・左大弁俊冬としふゆ・右大弁経方つねまさ・左中弁時光ときみつ勘解由かげゆの次官行知ゆきとも梶井かぢゐ二品にほん親王しんわうに至らせ給ふまで出世・坊官一人も残らず召し具され、竜駕の次に御輿を早めらる。




義詮朝臣(足利義詮。足利尊氏の嫡男)は、かねてより佐々木近江守秀綱(佐々木秀綱)を警固に付けていましたので、東坂本(現滋賀県大津市)は安泰でした。ここで国々の勢を集めようとしていましたが、吉野殿(南朝第二代、第九十七代後村上天皇)より大慈院の法印を大将として山門(比叡山)に呼び寄せたとの噂が立ったので、坂本を皇居にされてはよろしくないと、同じ六月十三日、同じ文和ぶんな二年(1353)六月十三日、義詮朝臣は竜駕([天子の乗り物])を守護して、東近江へ落ちて行きました。(北朝第四代後光厳天皇)行幸の供奉には、二条前関白左大臣(二条良基よしもと)・三条大納言実継(正親町おほぎまち三条実継)・西園寺大納言実俊(西園寺実俊)・裏築地大納言忠秀(藤原忠秀)・松殿大納言忠嗣(松殿忠嗣)・大炊御門中納言家信(大炊御門家信)・四条中納言隆持(四条隆持)・菊亭中納言公直(今出川公直)・花山院中納言兼定(花山院兼定)・左大弁俊冬(坊城俊冬)・右大弁経方(勧修寺経方)・左中弁時光(日野時光)・勘解由次官行知・梶井二品親王(第九十三代後伏見院の第六皇子、承胤しよういん法親王)にいたるまで出世([僧])・坊官([門跡家などに仕え、事務に当たった在俗の僧])一人も残らず連れて、竜駕の後に輿を連ねて急ぎ向かわれました。


続く


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by santalab | 2016-01-14 12:33 | 太平記 | Comments(0)

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