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「太平記」主上義詮没落事付佐々木秀綱討死事(その4)

子推しすゐももの肉を切り、趙盾てうとんが車の片輪を助けしも、この忠には過ぎじとぞ見へし。月卿げつけい雲客うんかく、あるひは長汀ちやうていの月にむちを上げ、あるひは曲浦きよくほの浪にさを差し給へば、「巴猿一叫停舟於明月峡之辺、胡馬忽嘶失路於黄沙磧之裏」と古人の書きし征路せいろへんも、今こそ思ひ知られたれ。これより東は路次ろしの煩ひもなかりしかば、美濃の垂井たるゐの宿の長者が家を皇居くわうきよにして、義詮よしあきら朝臣以下の官軍くわんぐん四辺しへんの在家に宿を取つて、皇居を警固し奉りけり。




子推(介子推。春秋時代の晋・文公=重耳。の臣下)が股の肉を切り(飢えた重耳に食べさせた)、趙盾(春秋時代の晋の政治家)の車の片輪を助けた(春秋時代の晋の君主霊公=文公の孫。は暴君であったため、趙盾が霊公を諌めたところ、霊公は趙盾を殺そうとして、趙盾が逃げられないようにと車の片輪を外しておいた。これを救ったのが霊輙れいちようという晋の臣で、霊輙は車の片側を持ち上げて車を走らせたという)のも、この忠には過ぎないと思われました。月卿雲客([公卿と殿上人])、ある者は長汀([長く続く波打ち際])の月に鞭を上げ、ある者は曲浦([曲がりくねって変化のある浦])の浪に棹を挿して、「巴猿一叫停舟於明月峡之辺、胡馬忽嘶失路於黄沙磧之裏(巴猿=峡谷に鳴く猿。が一叫びして舟は明月峡=四川省広元市。のほとりに停まり、胡馬=胡国に産した馬。が突然いななけば砂嵐に道はたちまち消え失せる)」(『和漢朗詠集』)と古人が書いた征路([旅路])の篇([一まとまりの詩歌や文章])が、今こそ思ひ知られるのでした。これより東は道中煩うことはありませんでしたので美濃の垂井宿(現岐阜県不破郡垂井町)の長者の家を皇居にして、義詮朝臣(足利義詮。足利尊氏の嫡男)以下の官軍は皆四辺の在家に宿を取って、皇居を警固しました。


続く


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by santalab | 2016-01-14 12:40 | 太平記 | Comments(0)

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