Santa Lab's Blog


「太平記」稲村崎成干潟事(その3)

まことに竜神納受なふじゆやし給ひけん、その夜の月の入り方に、前々さきざき更にる事もなかりける稲村崎、にはかに二十にじふ余町よちやう干上がつて、平沙渺々へいしやべうべうたり。横矢射んと構へぬる数千すせんの兵船も、落ち行くしほに被誘て、遥かの沖に漂へり。不思議と云ふも無類。義貞これを見給ひて、「伝へ聞く、後漢の弐師じし将軍は、城中に水尽きかつに被責ける時、刀を抜いて岩石がんぜきを刺ししかば、飛泉俄かに湧き出でき。我がてう神功皇后じんぐうくわうぐうは、新羅しんらを責め給ひし時みづか干珠かんしゆを取り、海上に投げ給ひしかば、潮水てうすゐとほく退いてつひに戦ひに勝つ事を令得給ふと。これ皆和漢の佳例にして古今の奇瑞きずゐ相似あひにたり。進めやつはものども」と被下知ければ、江田・大館おほたち・里見・鳥山・田中・羽河はねかは・山名・桃井もものゐの人々を始めとして、越後・上野かうづけ・武蔵・相摸の軍勢ども、六万余騎を一手に成して、稲村崎の遠干潟とほひかたを真一文字に懸けとほりて、鎌倉中かまくらぢゆうへ乱れ入る。数多あまたの兵これを見て、後ろなる敵に懸からんとすれば、前なる寄せ手あとに付いて攻め入らんとす。前なる敵を欲防と、後ろの大勢道を塞いで欲討と。進退失度、東西に心迷うて、はかばかしく敵に向かつて、軍を至す事はなかりけり。




竜神が納受したのか、その夜の月の入り方に、前々にはまったく干ることもなかった稲村崎が、にわかに二十余町干上がって、砂浜が広がりました。横矢を射ようと構えていた数千の兵船は、落ち行く潮に誘われて、遥か沖に漂いました。かつてないほど不思議な出来事でした。義貞(新田義貞)はこれを見て、「伝へ聞くところ、後漢の弐師将軍は、城中に水尽き喉の渇きに耐えかねて、刀を抜いて岩石に刺したところ、にわかに飛泉が湧き出たそうだ。我が朝の神功皇后(第十四代仲哀天皇皇后)が、新羅を攻めた時(新羅が攻めて来たので)自ら干珠(潮干る珠。龍神から借りたそうな)を取り、海上に投げ入れると、潮水は遠く退いて終に戦ひに勝つことができたと。これは皆和漢の佳例([吉例])であり古今の奇瑞であるが同じようなことが起きたのだ。進めや兵どもよ」と命じたので、江田・大館・里見・鳥山・田中・羽河・山名・桃井の人々を始めとして、越後・上野・武蔵・相摸の軍勢ども、六万余騎を一手に成して、稲村ヶ崎の遠干潟を真一文字に駆け通り、鎌倉中に乱れ入りました。数多くの敵兵はこれを見て、後ろの敵に当ろうとすれば、前の寄せ手が後に続いて攻め入るであろう。前の敵を防ごうとすれば、後ろの大勢が道を塞いで我らを討とうとするに違いない。進退を失い、東西に心惑い、進んで敵に向かい、軍をすることはありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-01-16 08:36 | 太平記 | Comments(0)

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