陶山が五十余人の兵ども、城の案内は只今委しく見置きたり。ここの役所に火を懸けてはかしこに鬨の声を上げ、かしこに鬨を作つてはここの櫓に火を懸け、四角八方に走り廻つて、その勢城中に満ち満ちたる様に聞こへければ、陣々堅めたる官軍ども、城の内に敵の大勢攻め入りたりと心得て、物の具を脱ぎ捨て弓矢をかなぐり棄てて、がけ堀とも不謂、倒れ転びてぞ落ち行きける。錦織の判官代これを見て、「膩き人々の振る舞ひかな。十善の君に被憑進らせて、武家を敵に受くるほどの者どもが、敵大勢なればとて、戦はで逃ぐる様やある、いつの為に可惜命ぞ」とて、向かふ敵に走り懸かり走り懸かり、大肌脱ぎに成つて戦ひけるが、矢種を射尽くし、太刀を打ち折りければ、父子二人並びに郎等十三人、各々腹掻き切つて同じ枕に伏して死ににけり。
陶山(陶山義高)の五十余人の兵どもは、城の案内を詳しく確認していました。ここの役所([戦陣で、将士が本拠としている所])に火を懸けてはかしこに鬨の声を上げ、かしこに鬨を作ってはここの櫓に火を懸け、四方八方に走り廻って、その勢は城中に満ち満ちているように聞こえたので、陣々を固めていた官軍どもは、城の内に敵が大勢攻め入ったと思い、物の具([武具])を脱ぎ捨て弓矢をかなぐり捨てて、崖堀も構わず、倒れ転びながら落ちて行きました。錦織判官代はこれを見て、「なんという人々の振る舞いよ。十善の君(第九十六代後醍醐天皇)に頼み参らせて、武家を敵にするほどの者どもが、敵が大勢だからといって、戦わずに逃げるとはどういうことか、何のために命を惜しむのだ」と申して、向かう敵に走り懸かり走り懸かり、大肌脱ぎ([上半身の衣服を全部脱いで裸になること])になって戦いましたが、矢種を射尽くし、太刀を打ち折って、父子二人ならびに郎等([家来])十三人は、各々腹を掻き切って同じ枕に臥して死にました。
(続く)