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「太平記」鎌倉兵火の事付長崎父子武勇の事(その4)

相順あひしたがふ兵わづかに二十にじふ余騎に成りしかば、敵三千余騎の真ん中に取り篭めて、短兵急に取りひしがんとす。為基ためもとが佩いたる太刀は面影と名付けて、らい太郎国行くにゆきが、百日精進しやうじんして、百くわんにて三尺三寸に打つたる太刀なれば、このきつさきまはる者、あるひは兜の鉢を立てりに被破、あるひは胸板を袈裟懸けに切つて被落けるほどに、敵皆これに被追立て、敢へて近付く者もなかりけり。ただ陣を隔てて矢衾やぶすまを作つて、遠矢とほやに射殺さんとしける間、為基が乗つたる馬に矢の立つ事七筋しちすぢなり。かくては可然敵に近付いて、組まんとする事叶はじと思ひければ、由井ゆゐの浜の大鳥居おほどりゐの前にて馬よりゆらりと飛んで下り、ただ一人太刀をさかさまに突いて、仁王立にわうだちにぞ立つたりける。義貞の兵これを見て、なほもただ十方より遠矢に射る計りにて、寄せ合はせんとする者ぞなかりける。敵を為謀手負うたる真似をして、小膝をつてぞ臥したりける。




付き従う兵がわずか二十余騎になれば、敵は三千余騎の真ん中に取り籠めて、短兵急([刀剣などの短い武器を持っていきなり攻める様])に一気に方を付けようとしました。為基(長崎為基)が佩いていた太刀は面影と名付けて、来太郎国行(来国行。山城の刀工)が、百日精進して、百貫(約375kg)を三尺三寸に打った太刀でしたので、この切っ先に廻る者は、あるいは兜の鉢を立て割りに破られ、あるいは胸板を袈裟懸けに斬って落とされるほどに、敵は皆為基(長崎為基ためもと。長崎思元しげんの子)に追い立てられて、あえて近付く者はいましんでした。ただ陣を隔てて矢衾([射手がすきまなく並んだ列])を作って、遠矢で射殺そうとしたので、為基が乗った馬に矢が七筋立ちました。こうなってはしかるべき敵に近付いて、組むことは叶わないと思い、由比ヶ浜の大鳥居(鶴岡八幡宮の鳥居)の前で馬よりゆらりと飛んで下り、ただ一人太刀をさかさまに突いて、仁王立ちに立ちました。義貞(新田義貞)の兵はこれを見て、なおもただ十方より遠矢に射るばかりで、寄せ合わせて戦おうとする者はいませんでした。そこで為基は敵を欺くために疵を負った真似をして、小膝を突いて臥しました。


続く


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by santalab | 2016-01-22 08:00 | 太平記 | Comments(0)

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