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「太平記」太宰少弐奉聟直冬事

右兵衛うひやうゑすけ直冬ただふゆは、去年の九月に備後を落ちて、河尻肥後のかみ幸俊なりとしが許におはしけるを、討ち奉るべき由自ら将軍御教書みげうしよをなされたりけれども、これはただ武蔵の守師直もろなほが申し沙汰するところなり。まことに将軍の御意より事起こつてなされし御教書にあらずと、人皆推量を廻らしければ、後のわざはひをかへりみて、討ち奉りする人もなかりけり。斯かるところに太宰の少弐せうに頼尚よりひさいかが思ひけん、この兵衛ひやうゑすけ殿を婿に取つて、己がたちに置き奉りければ、筑紫九国くこくの外もその催促に随ひかの命を重んじる人多かりけり。これに依つて宮方、将軍しやうぐん方、兵衛の佐殿方とて国々つに分かれしかば、世の中の総劇そうげきいよいよ休む時なし。ただ漢の代かたぶきて後、呉魏蜀ごぎしよくの三国かなへの如くにそばたちて、互ひに二つを亡ぼさんとせし戦国の始めに相似たり。




右兵衛佐直冬(足利直冬。足利尊氏の子)は、去年の九月に備後を落ちて、河尻肥後守幸俊(河尻幸俊)の許にいましたが、討ち取る旨の将軍自ら御教書([家司が主の意思を奉じて発給した古文書])をなしましたが、これはただ武蔵守師直(高師直)が沙汰したものでした。まことに将軍(足利尊氏)の意によりなされた御教書ではないと、人は皆思ったので、後の禍いを思って、直冬を討つ人はいませんでした。そうこうところに太宰少弐頼尚(少弐頼尚)は何を思ったか、この兵衛佐殿(足利直冬)を婿に取って、己の館に置いたので、筑紫九国のほかも直冬の催促に随い命を重んじる人が多くいました。こうして宮方、将軍方、兵衛佐殿方と国々は三つに分かれて、世の中の怱劇([非常にあわただしいこと])はますます休む隙もありませんでした。ただ漢の時代が傾いた後、呉魏蜀の三国が鼎([古代中国の煮炊き用の器の一。一般に円形で三足])の如く分立して、互いに二つを亡ぼそうとした戦国のはじまりに似たものでした。


続く


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by santalab | 2016-01-24 07:54 | 太平記 | Comments(0)

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