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「太平記」三角入道謀反事(その2)

寄せ手二万余騎、皆河端かはばたに打ち臨んで、いづくか渡さましと見るに、深山みやまの雲を分かつて流れ出でたる河なれば、松栢しようはく影を浸して、青山も如動、石岩流れをとほして、白雪のひるがへるに相似たり。「案内も知らぬ立てかはを、逸りのままに渡し懸けて、水に溺れて亡びなば、猛くとも何のえきかあらん。日すでに晩に及びぬ。夜に入らば水練すゐれんの者どもを数多あまた入れて、瀬踏みをよくよくせさせて後、明日可渡」と評定あつて馬を控へたるところに、森の小太郎・高橋九郎左衛門くらうざゑもん、三百余騎にて一陣に進んだりけるが申しけるは、「足利の又太郎またたらう治承ぢしように宇治河を渡し、柴田橘六きちろく承久しようきう供御くごの瀬を渡したりしも、いづれか瀬踏みをせさせてさうらひし。思ふにこれが渡りにてあればこそ、渡さん所を防がんとて敵は向かひに控へたるらめ。この河の案内者我にしたる人不可有。続けや殿ばら」とて、ただ二騎真つ先に進んで渡せば、二人ににん郎等らうどう三百余騎、三吉みよしの一族二百余騎、一度にさつと馬を打ち入れて、弓の本弭末弭もとはずうらはず取り違へ疋馬ひつばに流れを堰き上げて、向かひの岸へぞ懸けがつたる。善四郎が兵暫く支へて戦ひけるが、散々に懸け立てられて後ろなる城へ引き退く。




寄せ手二万余騎が、皆川端に臨んで、どこか渡れるところはないかと見れば、深山の雲を分けて流れ出でた川でしたので、松栢([常緑樹])の影を映す流れは、青山を動かすよう、石岩に当たりながら水は流れて、まるで白雪が舞うように見えました。「案内も知らぬ立川(流れの激しい川?)を、逸りのままに渡り、水に溺れて亡んでは、心猛くとも何の益になろう。日はすでに晩([夕方])になった。夜になれば水練([水泳の達人])の者どもを数多く川に入れて、瀬踏み([川を渡る前に瀬が浅いか深いか,あらかじめ調べてみること])をよくよくせさせて後、明日渡るべし」と評定して馬を控えるところに、森小太郎・高橋九郎左衛門は、三百余騎で一陣に進んでいましたが、「足利又太郎(足利忠綱ただつな)が治承に宇治川を渡し、柴田橘六(芝田兼義かねよし)が承久に供御の瀬(現滋賀県大津市)を渡したが、誰が瀬踏みをさせて渡ったか。思うにここが渡りであるからこそ、渡すところを防ごうと敵は向こう岸に控えておるのだろう。この川の案内者我に勝る人はおらぬ。続けや殿ども」と言って、ただ二騎真っ先に進んで渡せば、二人の郎等([家来])三百余騎、三吉の一族二百余騎が、一度にさっと馬を打ち入れて、弓の本弭末弭を組んで持ち疋馬に流れを堰き上げて、向こう岸に駆け上がりました。善四郎の兵はしばらく防いで戦いましたが、散々に駆け立てられて後ろの城に引き退きました。


続く


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by santalab | 2016-01-24 08:41 | 太平記 | Comments(0)

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