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「太平記」右兵衛佐直冬鎮西没落事(その1)

斯かりし後はいよいよ師直もろなほ権威けんゐ重く成つて、三条殿さんでうどの方の人々は面をれ眉をひそむ。中にも右兵衛うひやうゑすけ直冬ただふゆは、中国の探題にて備後のともにおはしけるを、師直近国の地頭・御家人にあひ触れて討ち奉れとまうし遣はしたりければ、同じき九月十三日じふさんにち、杉原又四郎に百余騎にて押し寄せたり。俄かの事なれば可防兵も少なくて、直冬朝臣既に被誅給ひぬべかりしを、礒部いそべ左近の将監しやうげん若党わかたう散々に防ぎけるが、いづれも究竟くつきやう手足てだれにて心ざす矢坪を不違射ける矢に、十六騎じふろくきに手負ほせて、十三騎馬よりさかさまに射て落としたりければ、杉原少しひるんで不懸得ければ、その間に右兵衛の佐殿は、河尻かはじり肥後のかみ幸俊なりとしが船に乗つて、肥後の国へぞ被落ける。心ざしある者は小舟に乗つて追つ付き奉る。




この後はますます師直(高師直)の権威は強力になって、三条殿(足利直義ただよし。足利尊氏の同母弟)方では顔を背け眉を潜めました。中でも右兵衛佐直冬(直義の養子、足利直冬。実父は足利尊氏)は、中国探題として備後の鞆(現広島県福山市)にいましたが、師直は近国の地頭・御家人に触れ回り討てと申し遣わしたので、同じ(貞和五年(1349))九月十三日、杉原又四郎が百余騎で押し寄せました。急なことでしたのでこれを防ぐ兵も少なくて、直冬朝臣はあわや討たれるところでしたが、礒部左近将監の若党が散々に戦ってこれを防ぎました、いずれも究竟の手足れ([腕利き])でしたので的を外さず射る矢に、(杉原又四郎方)十六騎が疵を負い、十三騎は馬からさかさまに落とされて、杉原は少しひるんで馬の足を止めたので、その間に右兵衛佐殿(足利直冬)は、河尻肥後守幸俊(河尻幸俊)の船に乗って、肥後国へ落ちました。右兵衛佐(直冬)に心ざしある者は小舟に乗って後に従いました。


続く


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by santalab | 2016-01-24 11:17 | 太平記 | Comments(0)

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