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「太平記」上杉畠山流罪死刑の事(その4)

光勝元は上杉が下知に随ふ者なりけるが、武蔵守に被語てにはかに心変じければ、八月二十四日の夜半ばかりに、伊豆いづかみの配所、江守の庄へ行きて、「昨日の暮れほどにかうの弁定信さだのぶ大勢にて当国の府に着きて候ふを、何事やらんと内々相たづねて候へば、方々を討ちまゐらせん為に下りて候ふなる。加様かやうにておわしましさふらひては、いかでか叶はせ給ひ候ふべき。今夜急ぎ夜に紛れて落ちさせ給ひ、越中越後の間に立ち忍ばせ給ひて、将軍へ事の子細をまうし入れさせ給ひ候はば、師直もろなほらはたちまちに蒙御勘気、御身の罪はかろく成つて、などか帰参の御事なかるべき。警固のつはものどもにも道のほどの御怖畏ふゐ候まじ。ただ早や討手の近付き候はぬ先に落ちさせ給ひ候へ」とまことに二心なげに申しければ、出し抜くとは夢にも知り給はず、取る物も不取敢、女房をさなき人々まで皆引き具して、上下五十三人ごじふさんにんかちはだしなる有様にて加賀の方へぞ被落ける。時しもこそあれ、小雨交じりに降る時雨、面を打つが如くにて、わづかに細き田面たのもの道、上は氷れる馬ざくり、踏めば深泥しんでい膝に上がる。みのもなく笠も着ざれば、はだへまで濡れとほり、手亀かがまり足冷へたるに、男は女の手を引き、親はをさなき子を負うて、いづくを可落著処とも不知、ただ跡より討手や懸かるらんと、怖ろしきままに落ち行く心の中こそ哀れなれ。




光勝(八木光勝)は元は上杉(上杉重能しげよし)の命に従う者でしたが、武蔵守(高師直もろなほ)に付いてにわかに心変わりして、八月二十四日の夜半ほどに、伊豆守(上杉重能しげよし)の配所、江守庄(現福井県福井市)を訪ねて、「昨日の暮れほどに高の弁定信が大勢で当国(越前国)の国府(現福井県越前市)に着きましたが、何事かと内々訊ねてみれば、方々を討つために下られたということです。ここにおられては、助かることはございません。今夜急ぎ夜に紛れて落ちられますよう、越中越後の間に忍ばれて、将軍(室町幕府初代将軍足利尊氏)に事の仔細を申し入れられれば、師直(高師直)もたちまち怒りを買い、罪を軽くなされて、きっと帰参することができましょう。警固の兵どもに供をさせますから何の恐れもございません。ただ急ぎ討手が近付かぬ先に落ちられますよう」と二心ないように申したので、まさかだまされているとは夢にも思わず、取るものも取りあえず、女房幼い子までも皆連れて、上下五十三人は、徒歩で加賀(現石川県加賀市)へ落ちて行きました。ちょうど、小雨交じりの時雨が降り、顔を打つほどで、わずかな田面([田のほとり])の、上は凍る馬決り([馬の踏み跡])の道を、踏めば深泥が膝までもかかりました。蓑もなく笠もかぶっていませんでしたので、肌まで濡れて、手は縮み足は冷えて、男は女の手を引き、親は幼子を負って、どこを落ち着く所とも知らず、ただ後ろより討手が来るかと、恐ろしく思いながら落ちて行く心の内は悲しいものでした。


続く


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by santalab | 2016-01-24 15:41 | 太平記 | Comments(0)

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