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「太平記」大嘗会の事(その1)

去るほどに年内やがて大礼可有と、重ねて評定せられけり。当年三月七日に可行と沙汰ありしかども、大儀不事行。乍去さのみ延引如何とて、可被果遂にぞ定まりける。それ大礼と申すは、大内回禄だいだいくわいろくの後は代々の流例りうれいとして、大極殿だいごくでんの儀式を被移て太政官のちやうにてこれを被行。内弁は洞院とうゐん太政大臣だいじやうだいじん公資きんすけ公とぞ聞こへし。即位の内弁を大相国たいしやうこく勤仕きんしの事先縦せんしよう邂逅たまさかなり、あるひは不快ふくわいなりと僉議せんぎまちまちなりしを、勧修寺くわんしゆじ大納言経顕つねあき卿勧んで被申けるは、「相国しやうこくの内弁の先例両度なり。保安ほうあん久寿きうじゆの両主なり。保安はまことに凶例とも云ひつべし、久寿はまた佳例なれば、かの先規をいかでか可被嫌。そのうへ今の相国は時に当たる職に達し、世に聞こえたる才幹なり。されば君主も義をひ政道を問ひ給へば、一人いちじんの師範その身に当たれり。諸家も礼を学び和漢のかがみと仰ぎて、四海しかい儀形ぎけい人を恥ぢず」と被申しかば、皆閉口して是非の沙汰にも不及、相国内弁に定まり給ひけり。




やがて年内に大礼(大嘗祭)あるべしと、重ねて評定がありました。当年三月七日に行うべしと沙汰がありましたが、大儀は行われませんでした。けれどもこれ以上の延引はいかがと、遂に行うべしと定まりました。大礼と申すのは、大内裏が回禄([火災])に遭った後は代々の流例([慣例])として、大極殿の儀式を移して太政官庁で行われていました。内弁([即位式や朝賀・節会・射礼などの朝廷における重要行事の際に、会場が大極殿であれば会昌門、内裏であれば承明門の門内にあって、門の内側における諸事に対する責任者])は洞院太政大臣公資公(洞院公賢きんかた。洞院実世さねよ)と聞こえました。即位の内弁([即位式や朝賀・節会・射礼などの朝廷における重要行事の際に、門の内側における諸事に対する責任者])を大相国([太政大臣])が勤仕すること先縦([前例])にあらず([邂逅]=[偶然])、または不快([不例]=[前例のないこと])であると僉議はまちまちでしたが、勧修寺大納言経顕卿(勧修寺経顕)が進んで申すには、「相国の内弁の先例は両度です。保安(第七十五代崇徳天皇)・久寿(第七十七代後白河天皇)の時でございます。保安はまことに凶例とも言えましょう、久寿はまた佳例([吉例])なれば、かの先規([先例])をどうして嫌うべき。その上今の相国は時に臨んで太政大臣の職に達し、世に聞こえた才幹([物事を成し遂げる知恵や能力])を持っておられます。なれば君主も義を訪い政道を問われて、一人([天皇])の師範の身でございます。諸家も礼を学び和漢の鏡と仰いで、四海([国内])の儀形([模範])に恥じません」と申したので、皆閉口して是非の沙汰にも及ばず、相国(洞院公賢)が内弁に定まりました。


続く


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by santalab | 2016-01-24 17:05 | 太平記 | Comments(0)

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