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「太平記」大嘗会の事(その2)

外弁げべん三条さんでう坊門ばうもん源大納言家信いへのぶ・高倉の宰相さいしやう広通ひろみち冷泉れんぜいの宰相経隆つねたかなり。
左の侍従は花山院くわざんのゐんの宰相中将ちゆうじやう家賢いへかた、右の侍従は菊亭三位さんみの中将公真きんさねなり。御即位の大礼は四海しかいの経営にて、緇素しその壮観可比事なければ、遠近くびすを接いで群れをなす。両院も御見物の為に御幸ごかう成つて、外弁のかりやの西南の門外に御車を被立。天子諸卿冕服べんふくを着し諸衛しよゑ諸陣大儀を附す。四神ししんはたを壺に立て、諸衛鼓をぢんに振る。紅旗こうき巻風画竜ぐわりよう揚がり、玉幡ぎよくはん映日文鳳ぶんほう翔ける、秦の阿房宮あばうきゆうにも不異、呉の姑蘇台こそだいもかくやと思えて、末代と乍云、懸かる大儀を被執行事有難かりしためしなり。この日いかなる日ぞや、貞和五年十二月二十六日にじふろくにち、天子登壇即位して数度の大礼事故ことゆへなく被行しかば、今年は目出度く暮れにけり。




外弁([即位式や朝賀・節会・射礼などの朝廷における重要行事の際に、 会場が大極殿であれば会昌門、内裏であれば承明門の門外にあって、門の外側における諸事に対する責任者])は三条坊門源大納言家信・高倉宰相広通・冷泉宰相経隆でした。左の侍従は花山院宰相中将家賢(花山院家賢)、右の侍従は菊亭三位中将公真(今出川公直きんなほ?)でした。即位の大礼は四海(国家)の経営([政治や公的な行事などについて、その運営を計画し実行すること])にて、緇素([黒衣を着けた僧と白衣を着た俗人])の壮観([規模が大きくてすばらしい眺め。また、 その様])は比べるものなき事でしたので、遠近から踵を接いで([踵を接する]=[前後の人のかかとが接するほど、次から次へと人が続く])群れをなしました。両院(北朝初代光厳天皇、第二代光明天皇)も見物のために御幸になられて、外弁の幄([幄舎あくしや]=[四隅に柱を立て、棟・檐 のきを渡して布帛 で覆った仮小屋。祭儀などの時に、臨時に庭に設けるもの])の西南の門外に車を立てられました。天子諸卿は冕服([貴人が着用する礼装用の冠と衣服])を着し諸衛諸陣が大儀([即位式・朝賀など、朝廷で行われる 最も重要な儀式])を警固しました。四神旗([四神=東に青竜、南に朱雀、西に白虎,北に玄武。を描き出した四本の旗。昔、朝廷で、即位礼・元日などに庭前に立てられた])を壺([南庭])に立て、諸衛が鼓を陣に振り鳴らしました。紅旗が風に翻り画竜は天に昇り、玉幡([高御座の八角の棟の下にかける旗の形をした飾り])は日にきらめいて鳳凰が空を翔けた、秦の阿房宮([秦始皇帝が建てた大宮殿])あばうきゆうにも異らず、呉の姑蘇台([呉の宮殿])もそうであったと思えて、末代([道義の衰えた末の世])とはいいながら、このような大儀が執り行われたことはかつてないものでした。この日はどのような意味を持つ日でしたか、貞和五年(1349)十二月二十六日、天子(北朝第三代、崇光すこう天皇)が登壇即位して数度の大礼が何事もなく行われて、この年はめでたく暮れました。


続く


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by santalab | 2016-01-24 20:37 | 太平記 | Comments(0)

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