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「太平記」信忍自害の事

さるほどに普恩寺ふおんじさきの相摸の入道信忍しんにんも、仮粧坂けはひざかへ被向たりしが、夜昼よるひる五日の合戦に、郎従らうじゆう悉く討ち死にして、わづかに二十にじふ余騎ぞ残りける。諸方の攻め口皆破れて、敵谷々やつやつに入り乱れぬとまうしければ、入道普恩寺討ち残されたる若党わかたう諸共に自害せられけるが、子息越後ゑちごかみ仲時なかとき六波羅を落ちて、江州がうしう番馬ばんばにて腹切り給ひぬと告げたりければ、その最後の有様思ひ出して、あはれに不堪や被思けん、一首の歌を御堂みだうの柱に血を以つて書き付け給ひけるとかや、

待てしばし 死出の山辺の 旅の道 同じく越えて 浮世語らん

年来たしなもてあそび給ひし事とて、最後の時も不忘、心中の愁緒しうしよを述べて、天下の称嘆しようたんに残されける、数奇のほどこそやさしけれと、皆感涙をぞ流しける。




やがて普恩寺(基時が創建)の前相摸入道信忍(北条基時もととき。鎌倉幕府第十三代執権)も、仮粧坂([鎌倉七口の一])に向かいましたが、夜昼五日の合戦で、郎従([家来])のほとんどは討ち死にして、わずか二十騎余りを残すだけでした。諸方の攻め口をすべて破られて、敵(南朝)が谷々に入り乱れたと聞いて、入道普恩寺(北条基時)は討ち残された若党([若い侍])とともに自害することにしました、子息の越後守仲時(北条仲時)も六波羅を落ちて、江州番馬(番場峠。現滋賀県米原市)で腹を切ったと告げる者がいたので、最後の有様を思い出して、悲しみに堪えず思ったのか、一首の歌を御堂(普恩寺)の柱に血で書き付けたとか、

仲時よ、しばらく待っておれ、死出の山の旅の道を、わしとともに越えようではないか、浮き世の話をしながらよ。

長年たしなんでいた和歌の道でしたので、最後の時も忘れず、心中の愁緒([嘆き悲しむ心])を述べて、天下の称嘆([感心してほめたたえること])を残す、数寄の心はやさしいものでした。皆感涙を流しました。


続く


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by santalab | 2016-01-26 07:48 | 太平記 | Comments(0)

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