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「太平記」備後三郎高徳事付呉越軍の事(その1)

その頃備前の国に、児島こじま備後三郎高徳たかのりと云ふ者あり。主上笠置かさぎに御座ありし時、御方に参じて揚義兵しが、事いまだ成らざる先に、笠置も被落、楠木も自害したりと聞こへしかば、力を失うて黙止もだしけるが、主上隠岐の国へ被遷させ給ふと聞いて、無弐一族どもを集めて評定ひやうぢやうしけるは、「志士しじ仁人じんじんは無求生以つて害仁、有殺身為仁」といへり。されば昔ゑい懿公いこう北狄ほくてきの為に被殺てありしを見て、その臣に弘演こうえんと云ひし者、これを見るに不忍、みづから腹を掻き切つて、懿公が肝を己が胸のうちに収め、先君の恩を死後にはうじて失せたりき。『見義不為無勇』。いざや臨幸りんかう路次ろしに参り会ひ、君を奪ひ取り奉りて大軍を起こし、たとひかばねを戦場に晒すとも、名を子孫に伝へん」とまうしければ、心ある一族ども皆この義に同ず。「さらば路次の難所なんじよ相待あひまちて、その隙を可伺」とて、備前と播磨とのさかひなる、舟坂山の嶺に隠れ臥し、今や今やとぞ待ちたりける。




その頃備前国に、児島備後三郎高徳(児島高徳)という者がいました。主上(第九十六代後醍醐天皇)が笠置城(現京都府哀楽郡)におられた時、味方に参じて義兵を上げましたが、倒幕ならぬ前に、主上が笠置を落ちられ、楠木(楠木正成)も自害したと聞こえたので、力を失ってじっとしていました、主上が隠岐国に遷されると聞いて、二心ない一族どもを集めて評定するには、「志士仁人([志のある人や仁徳者])というものは、命を惜しんでは仁ならず、身を捨ててこそ仁たるべし」というぞ。昔衛の懿公(中国春秋時代、衛の第十九代君主)が北狄([北方民族])に殺されたのを見て、懿公の臣であった弘演という者は、これを見て忍びなく、自ら腹を掻き切って、懿公の肝を己の腹の中に納め、先君(懿公)の恩を死後に報じて失せたという。『義を見て為さざるは勇にあらず』ぞ。どうだ臨幸の道中に参り、君(後醍醐天皇)を奪い取って大軍を起こし、たとえ屍を戦場に晒すことになろうとも、名を子孫に伝えようではないか」と申せば、心ある一族どもは皆これに同意しました。「ならば路次の難所で待ち構えて、隙を窺おう」と、備前と播磨の境にある、舟坂山(現兵庫・岡山県境にある山)に隠れて、今か今かと待ちました。


続く


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by santalab | 2016-01-27 08:42 | 太平記 | Comments(0)

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