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「太平記」備後三郎高徳事付呉越軍の事(その2)

臨幸余りに遅かりければ、人を走らかしてこれを見するに、警固の武士、山陽道せんやうだうを不経、播磨の今宿いまじゆくより山陰道せんいんだうにかかり、遷幸せんかうを成し奉りける間、高徳たかのりが支度相違してけり。さらば美作みまさかの杉坂こそ究竟くつきやう深山みやまなれ。ここにて待ち奉んとて、三石みついしの山より筋交すぢかひに、道もなき山の雲を凌ぎて杉坂へ着いたりければ、主上早や院庄ゐんのしやうへ入らせ給ひぬとまうしけるあひだ、無力これより散々に成りにけるが、責めてもこの所存を上聞しやうぶんに達せばやと思ひける間、微服潛行びふくせんかうして時分を窺ひけれども、しかるべき隙もなかりければ、君の御坐ある御宿の庭に、おほきなる桜木ありけるを押しけづりて、大文字おほもじに一句の詩をぞ書き付けたりける。

天莫空勾践こうせん
時非無范蠡はんれい

御警固の武士ども、あしたにこれを見付けて、「何事なにことをいかなる者が書きたるやらん」とて、読み兼ねて、すなはち上聞に達してけり。主上はやがて詩の心を御悟りありて、竜顔りようがん殊に御快くませ給へども、武士どもは敢へてその来歴らいれきを不知、思ひ咎むる事もなかりけり。




臨幸があまりにも遅いので、人を走らせて見にいかせましたが、警固の武士は、山陽道を経ず、播磨の今宿(現兵庫県姫路市今宿)より山陰道を通り、遷幸されたので、高徳(児島高徳)の予想は外れました。ならば美作の杉坂(杉坂峠。現兵庫・岡山県境にある峠)という険しい深山を通るはず。ここで待とうと、三石(現岡山県備前市三石)の山を横切って、道もない山の雲を凌いで杉坂へ着きましたが、主上(第九十六代後醍醐天皇)はすでに院庄(現岡山県津山市)に入られたと申したので、仕方なくこれより散り散りになりました、高徳はせめてこの思いだけでも伝えたいと思って、微服潛行([人目につかないよう紛れ入ること])して時を窺いましたが、都合のよい隙もなかったので、君(後醍醐天皇)が泊まられている宿の庭に、大きな桜の木があったので面を削って、大きな文字で一句の詩を書き付けました。

天は勾践を見捨てませんでした。
范蠡が助けてくれる時が来るでしょう。

警固の武士どもは、翌朝これを見付けて、「どういう意味だろういったい誰が書いたものか」と言って、意味も分からず、すぐに上聞しました。主上(後醍醐天皇)はすぐに詩の意味を理解されて、竜顔([天子の顔])をとりわけ明るくされ微笑まれましたが、武士どもはまったく来歴([由来])を知らなかったので、怪しく思うこともありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-01-27 12:40 | 太平記 | Comments(0)

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