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「太平記」備後三郎高徳事付呉越軍の事(その5)

呉王夫差ふさこれを聞いて、「小敵をば不可欺」とて、自ら二十万騎にじふまんぎの勢を卒して、呉と越とのさかひ夫枡県ふせうけんと云ふ所に馳せ向かひ、後ろに会稽山くわいけいざんを当て、前に大河を隔てて陣を取る。わざと敵を計らん為に三万余騎を出だして、十七万騎をば陣の後ろの山陰やまかげに深く隠してぞ置いたりける。さるほどに越王ゑつわう夫枡県に打ち臨んで、呉のつはものを見給へば、その勢はつかに二三万騎には過ぎじと思へて所々に控へたり。越王これを見て、思ふに不似小勢なりけりとあなどつて、十万騎の兵同時に馬を河水かすゐに打ち入れさせ、馬筏むまいかだを組んで打ち渡す。頃は二月上旬の事なれば、余寒なほ激しくして、河水こほりに連なれり。兵手こごつて弓を引くに不叶。馬は雪になづんで懸け引きも不自在。されども越王攻めつづみを打つて進まれける間、越の兵我先にと双轡懸け入る。呉国の兵は兼ねてより敵を難所なんじよにをびき入れて、取り籠めて討たんと議したる事なれば、わざ一軍ひといくさもせで夫椒県の陣を引き退いて会稽山へ引き籠もる。越の兵勝つに乗つて逃ぐるを追ふ事三十さんじふ余里、四隊したいぢんを一陣に合はせて、左右さいうを不顧、馬の息も切るるほど、思ひ思ひにぞ追うたりける。日すでに暮れなんとする時に、呉の兵二十万騎にじふまんぎ思ふに敵を難所へをびき入れて、四方しはうの山より打ち出でて、越王ゑつわう勾践こうせんを中に取り籠めて、一人も不漏と攻め戦ふ。越の兵は今朝こんてういくさに遠懸とほがけをして人馬ともに疲れたるうへ無勢ぶせいなりければ、呉の大勢おほぜいに被囲、一所に打ち寄りて控へたり。




呉王夫差はこれを聞いて、「小敵を侮るべからず」と申して、自ら二十万騎の勢を引き連れて、呉と越との境夫枡県という所に馳せ向かい、後ろに会稽山(中国浙江省北部にある山峰)を当て、前に大河(長江)を隔てて陣を取りました。夫差は敵を欺くために三万余騎を出して、十七万騎をば陣の後ろの山陰不覚に隠し置きました。やがて越王(勾践)が夫枡県に進んで、呉の兵を見れば、その勢はわずか二三万騎には過ぎないように思えて所々に控えていました。越王はこれを見て、思うに相違して小勢ではないかと侮って、十万騎の兵を同時に河水に打ち入れて、馬筏([流れの急な大河を騎馬で渡るときに、数頭の乗馬を並べつないで筏のようにすること])を組んで打ち渡しました。頃は二月上旬のことでしたので、余寒はなおも激しくて、河水には凍りが連なっていました。兵の手は凍え弓を引くことができませんでした。馬は雪に難儀して駆け引きも思うようにいきませんでした。けれども越王(勾践)は攻め鼓([攻め太鼓])を打って兵を進めたので、越の兵は我先にと轡を並べて駆け入りました。呉国の兵はもとより敵を難所におびき寄せて、取り籠めて討とうと決めていたので、わざと一戦もせずに夫椒県の陣を引き退いて会稽山へ引き籠もりました。越の兵は勝つに乗って逃げる兵を追うこと三十余里、四隊の陣を一陣に合わせて、前後左右も顧みず、馬の息が切れるほどに、思い思いに追いかけました。日がすでに暮れようとする時、呉の兵二十万騎は思う通りに適を難所におびき入れて、四方の山より打ち出て、越王勾践を中に取り籠めて、一人も漏らすまいと攻め戦いました。越の兵は今朝の戦で遠駆けして人馬ともに疲れていた上無勢でしたので、呉の大勢に囲まれて、一所に集まって控えるほかありませんでした。


by santalab | 2016-01-28 08:08 | 太平記

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