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「太平記」備後三郎高徳事付呉越軍の事(その10)

呉王すなはち欲にふける心をたくましうして、「さらば早や会稽山くわいけいざんの囲みを解いて勾践こうせんを可助」のたまひける。太宰たいさいかへつて大夫しゆうにこの由を語りければ、大夫種おほきによろこうで、会稽山に馳せ帰り、越王ゑつわうにこの旨を申せば、士卒皆色をなほして、「出万死逢一生いつしやう、ひとへに大夫種が智謀に懸かれり」と、喜ばぬ人もなかりけり。越王すでに降旗かうきを被建ければ、会稽の囲みを解いて、呉のつはものは呉に帰り、越の兵は越に帰る。勾践すなはち太子王せき与をば、大夫種に付けて本国へ帰し遣はし我が身は白馬素車はくばそしやに乗つて越の璽綬じじうを首に懸け、みづから呉の下臣と称して呉の軍門に下り給ふ。斯かりけれども、呉王なほ心赦しやなかりけん、「君子は不近刑人」とて、勾践こうせんおもてを不見給、あまつさへ勾践を典獄てんごくくわんに被下、日に行事一駅して、呉の姑蘇城こそじやうへ入り給ふ。その有様を見る人、涙の懸からぬ袖はなし。経日姑蘇城に着き給へば、すなはち手械てかせ足械あしかせを入れて、土のろうにぞ入れ奉りける。夜明け日暮れ、月日の光をも見給はねば、一生いつしやう溟暗めいあんうちに向かつて、年月の遷り替はるをも知り給はねば、なみだの浮ぶ床のうへ、さこそは露も深かりけめ。




呉王(夫差)はたちまち欲に耽ける心を大いに生じて、「ならば早く会稽山(中国、浙江省紹興市南部に位置する山)の囲みを解いて勾践を助けよう」と申しました。太宰否(喜否)は戻ると大夫種(文種)にこれを話しました、大夫種はたいそうよろこんで、会稽山に馳せ帰り、越王(勾践)にこの旨を申し上げると、士卒皆元気を取り戻して、「万死を遁れて命を永らえることができたのも、すべて大夫種の智謀によるものだ」と、よろこばぬ人はいませんでした。越王はすぐに降旗([白旗])を立てたので、会稽の囲みを解いて、呉の兵は呉に帰り、越の兵は越に帰りました。勾践は急ぎ太子王せき与(与夷?)を、大夫種に付けて本国へ帰すと、我が身は白馬素車([白木造りの車。葬送や罪人の護送に用いる])に乗って璽綬([天子の印])を首に懸け、自ら呉の下臣と称して呉の軍門に下りました。それでも、呉王(夫差)は心を許すことなく、「君子は刑人に近付かず」と申して、勾践の顔も見ることなく、勾践を典獄([監獄の事務をつかさどる官吏])の官に下し、日に行事(行事官)が一駅かけて進み、呉の姑蘇城(中国、江蘇省蘇州市姑蘇区)に入れました。有様を見る人、涙のかからぬ袖はありませんでした。日を経て姑蘇城に着くと、たちまち手械足械をして、土楼に幽閉しました。夜明け日暮れの、月日の光も見えず、一生を溟暗([暗憺溟濛あんたんめいもう]=[先が見えなく、前途に希望のないことのたとえ])の中で、年月の移り変わりも知りませんでした、涙の浮かぶ床の上は、それこそ露深いものでしたでしょう。


続く


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by santalab | 2016-01-29 08:18 | 太平記 | Comments(0)

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