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「太平記」備後三郎高徳事付呉越軍の事(その19)

呉王みづか相当あひあたる事三十二箇度さんじふにかど、夜半に解囲六十七騎を随へ、姑蘇山こそざんに取り上り、越王ゑつわうに使者を立てていはく、「君王くんわう会稽山くわいけいざんに苦しみし時臣夫差ふさこれを助けたり。願はくは我今より後のち越の下臣と成つて、君王の玉趾ぎよくしを戴かん。君もし会稽の恩を不忘、臣が今日こんにちの死を救ひ給へ」とことばを卑しうし厚礼かうせん事をぞ被請ける。越王ゑつわう聞之いにしへの我が思ひに、今人こんじんの悲しみさこそとあはれに思ひ知り給ひければ、呉王を殺すに不忍、救其死思ひ給へり。范蠡はんれい聞之、越王ゑつわう御前おんまへまゐりて犯面まうしけるは、「伐柯そののり不遠。会稽くわいけいいにしへは天ゑつを呉に与へたり。しかるを呉王取る事なうしてたちまちにこの害に逢へり。今かへつて天ゑつに呉を与へたり。無取事越又如此の害に逢ふべし。君臣ともに肺肝はいかんを砕いて呉をはかる事二十一年、一朝いつてうにして棄てん事あに不悲や。君行非時に不顧臣の忠なり」と云ひて、呉王の使者いまだかへらざるさきに、范蠡みづから攻めつづみを打つて兵を進め、遂に呉王を生け捕つて軍門の前に引き出だす。




呉王(夫差)は自ら敵と戦うこと三十二箇度、夜半に囲みを解いて六十七騎を従え、姑蘇山(現江蘇省蘇州市)に上ると、越王(勾践)に使者を立てて申すには、「君王が昔会稽山で苦しんだ時臣夫差がこれを助けました。願わくは我は今より後は越の下臣となって、君王の玉趾([天子や貴人の足])の前に跪きましょう。君(勾践)がもし会稽の恩を忘れておられぬならば、臣(夫差)の今日の死を救われますよう」と言葉を譲り厚礼に与ることを請いました。越王(勾践)はこれを聞いて昔を思い出し、今人(夫差)の悲しみを哀れに思い、呉王を殺す忍びなく、その命を救おうと思いました。范蠡(中国春秋時代の越の政治家、軍人)はこれを聞いて、越王の御前に参って面と向かい申すには、「伐柯([人が学ぶべき道は近くにあるのであって遠くに求める必要はないことを喩えた言葉。伐採する際には斧を用いるので、柯=曲がった枝。を切る長さは斧の柄を手本にすれば良いこと])の道理は遠い昔のことではありません。かつて会稽では天は越を呉に与えました。けれども呉王は越を取らずにしてたちまちこの害に遭いました。今は逆に天は越に呉を与えようとしております。もし呉を取らなくば越もまた同じ害に遭うことでしょう。君臣ともに肺肝を砕いて呉を謀ること二十一年、一朝にしてこれを捨てることを悲しいとは思いませんか。君が行いをなさぬ時には替わって行うのが臣の忠でございます」と申して、呉王の使者がまだ帰らぬ前に、范蠡は自ら攻め鼓を打って兵を進め、遂に呉王を生け捕って軍門の前に引き出しました。


続く


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by santalab | 2016-01-30 07:36 | 太平記 | Comments(0)

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