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「太平記」備後三郎高徳事付呉越軍の事(その20)

呉王すでに被面縛、呉の東門とうもんを過ぎ給ふに、忠臣伍子胥ごししよが諌めに依つて、被刎首時、はたほこうへに掛けたりし一双いつさうまなこ三年みとせまでいまだ枯れずしてありけるが、そのまなじり明らかに開け、相見あひみて笑へる気色きしよくなりければ、呉王これに面を見ゆる事さすが恥かしくや被思けん、袖を顔に押し当てて低首過ぎ給ふ。数万すまんの兵見之涙を流さぬはなかりけり。すなはち呉王を典獄てんごくくわんに下され、会稽山くわいけいざんの麓にて遂に首を刎ね奉る。古来より俗のことわざにいはく、「会稽の恥をきよむる」とはこの事を云ふなるべし。自是越王ゑつわう呉を合はするのみにあらず、しんせいしんたひらげ、覇者の盟主と成りしかば、その功をしやうして范蠡はんれい万戸侯ばんここうほうぜんとし給ひしかども、范蠡かつて不受其禄、「大名たいめいもとには久しく不可居る、功成り名遂げて而身退くは天の道なり」とて、つひに姓名を替へ陶朱公たうしゆこうと呼ばはれて、五湖ごこと云ふ所に身を隠し、世を遁れてぞ居たりける。釣りして芦花ろくわの岸に宿しゆくすれば、半蓑はんさに雪を止め、歌謡うて楓葉ふうえふの陰を過ぐれば、孤舟こしうに秋を戴せたり。一蓬いつぽうの月は万頃ばんきやうの天、紅塵こうぢんの外に遊んで、白頭はくとうの翁と成りにけり。




呉王(夫差)が面縛([両手を後ろ手にして縛り、顔を前に突き出して晒すこと])されて、呉の東門を過ぎる時、忠臣伍子胥が諌めにより、首を刎ねられて、幢([小さい旗を先につけた鉾])の上に懸けられたその二つの目は、三年の間まだ枯れずにいましたが、その眸を大きく見開いて、呉王の姿を見て笑うように見えたので、呉王(夫差)は伍子胥に顔を見られるのを恥ずかしく思ったのか、袖を顔に押し当てて面を伏せて通り過ぎました。数万の兵はこれを見て涙を流さぬ者はいませんでした。たちまち呉王を典獄([監獄で、事務を扱う官吏])の官に下し、会稽山の麓で終に首を刎ねられました(夫差は自ら首を刎ねて死んだという)。古来より俗の諺にいわく、「会稽の恥を雪ぐ」とはこのことをいうのです。これによって越王(勾践)は呉を滅ぼすだけでなく、晉・楚・斉・秦を平定し、覇者の盟主となりました、その功を賞じて范蠡を万戸侯([一万戸ある土地を領する諸侯])を与えようとしましたが、范蠡は禄を受けず、「大名の名の下に長く居るべからず、功をなし名を上げた身を退くのが天道([天の道理])というものです」と申して、遂に姓名を替え陶朱公と名乗って、五湖(定陶ていとう。現山東省陶県)という所に身を隠し、世を遁れたといいます(范蠡は定陶でも商売で大成功して、巨万の富を得たらしい)。釣りをして蘆花([アシの花穂])の下に宿り、半蓑に雪を防ぎ、歌を謡い楓葉([紅葉したカエデの葉])の陰を過ぎては、孤舟([ただ一艘浮かんでいる舟])に秋を感じる。一蓬([仙人のすみか。蓬莱山])の月が万頃([地面または水面が広々としていること])の天に上れば、紅塵([俗人の住む世の中])の外に遊んで、范蠡は白頭を悲しむ翁となりました。


続く


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by santalab | 2016-01-30 07:41 | 太平記 | Comments(0)

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