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「太平記」薩多山合戦の事(その4)

宇都宮は、薬師寺次郎左衛門じらうざゑもん入道元可げんかが勧めに依つて、兼ねてより将軍に心ざしを存じければ、武蔵のむさしのかみ師直もろなほが一族に、三戸みと七郎しちらうと云ふ者、その辺に忍びて居たりけるを大将に取り立て、薩埵山の後攻ごづめをせんとくはたてけるところに、上野かうづけの国の住人ぢゆうにん大胡おほご山上やまかみの一族ども、人に先をせられじとや思ひけん。新田の大島おほしまを大将に取り立て五百余騎薩埵山の後攻めの為とて、笠懸かさがけの原へ打ち出でたり。長尾孫六・同じき平三・三百余騎にて上野かうづけの国警固の為に、兼ねてより世良田せらだに居たりけるが、これを聞くとひとしく笠懸の原へ打ち寄せ、敵に一矢をも射させず、抜き連れて懸け立ちけるほどに、大島が五百余騎十方に被懸散、行方も不知成りにけり。宇都宮これを聞いて、「この人々なまじひなる事出だして敵に気をけつる事よ」と興醒めて思ひけれども、「それに不可依」と機を取り直して、十二月十五日宇都宮を立つて薩埵山へぞ急ぎける。




宇都宮(宇都宮公綱きんつな)は、薬師寺次郎左衛門入道元可(薬師寺公義きんよし。宇都宮一族らしい)の勧めによって、将軍に心を寄せていたので、武蔵守師直(高師直)の一族に、三戸七郎(高師親もろちか)という者が、近くに忍んでいたのを大将に取り立て、薩埵山(現静岡県静岡市清水区にある薩埵峠)の後詰め([敵の後ろへまわって攻める軍隊])をしようと考えてるところに、上野国の住人、大胡・山上の一族どもが、人に先を越されてはと思ったか。新田の大島(大島氏)を大将に取り立て五百余騎で薩埵山の後詰めのために、笠懸原(現群馬県みどり市?)に打ち出ました。長尾孫六・同じく平三は三百余騎で上野国の警固のために、世良田(現群馬県太田市・伊勢崎市)にいましたが、これを聞くと同じく笠懸原へ打ち寄せ、敵に一矢をも射させず、抜き連れて([大勢の者が一斉に刀を抜く])駆け回ったので、大島の五百余騎は十方に駆け散らされて、行方も知れずになりました。宇都宮(公綱)はこれを聞いて、「この人々はうかつなことをしたものよ敵に気を付けるべき」と薩埵山に向かう気も失せましたが、「それは関係なし」と気を取り直して、十二月十五日に宇都宮を立って薩埵山に急ぎました。


続く


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by santalab | 2016-01-30 16:31 | 太平記 | Comments(0)

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