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「太平記」薩多山合戦の事(その7)

ここにて跡に立つたる馬煙うまけぶりを、馳せ着く御方かと見ればさにあらで、桃井もものゐ播磨のかみ・長尾左衛門、一万余騎にて迹に付いて押し寄せたり。宇都宮、「さらば陣を張つて戦へ」とて、小溝の流れたるを前に当て、平々としたる野中に、紀清両党七百余騎は大手に向かつて北の端に控へたり。氏家うぢへ太宰だざい小弐せうには、二百余騎中の手に控へ、薬師寺入道元可げんか兄弟が勢五百余騎は、搦め手に対して南の端に控へ、両陣互ひに相待つて、半時計り時を移すところに、桃井が勢七千余騎、鬨の声を揚げて、宇都宮に打つて懸かる。長尾左衛門が勢三千余騎、魚鱗に連なつて、薬師寺に打つて係かる。長尾孫六・同じき平三、二人ににんが勢五百余騎は皆馬より飛び下り、徒立かちだちに成つて射向けの袖を差しかざし、太刀長刀のきつさきを揃へて、閑々しづしづ小跳こをどりして、氏家が陣へ打つて係かる。飽くまで広き平野の、馬の足に懸かる草木の一本もなき所にて、敵御方一万二千余騎、東に開け西に靡けて、追つつかへしつ半時計り戦ひたるに、長尾孫六が下り立つたる一揆の勢五百余人、縦横じゆうわうに懸け悩まされて、一人も不残被打ければ、桃井もものゐも長尾左衛門も、叶はじとや思ひけん、十方に分かれて落ち行きけり。




ここで後ろに立つ馬煙を、馳せ付く味方かと見ればそうではなく、桃井播磨守(桃井直常なほつね)・長尾左衛門(長尾景忠かげただ?)が、一万余騎で後に付いて押し寄せました。宇都宮(宇都宮公綱きんつな)は、「ならば陣を張って戦え」と、小溝が流れているのを前に当てました、平々とした野中に、紀清両党七百余騎は大手([敵の正面を攻撃する軍勢])に向かって北の端に控えました。氏家太宰小弐(氏子周綱ちかつな)は、二百余騎を中の手に控え、薬師寺入道元可(薬師寺公義きんよし)兄弟の勢五百余騎は、搦め手([城の裏門や敵陣の後ろ側を攻める軍勢])に対して南の端に控え、両陣互いに相待って、半時ばかり時を移すところに、桃井(直常)の勢七千余騎が、鬨の声を上げて、宇都宮(公綱)に打って懸かりました。長尾左衛門の勢三千余騎は、魚鱗に連なって、薬師寺(公義)に打って懸かりました。長尾孫六・同じく平三、二人の勢五百余騎は皆馬より飛び下り、徒立になって射向け([左])の袖を差しかざし、太刀長刀の切っ先を揃えて、ゆっくりと小躍りしながら、氏家(周綱)の陣へ打って懸かりました。どこまでも広い平野の、馬の足に懸かる草木の一本もない場所で、敵味方一万二千余騎が、東に開け西に靡けて、追いつ返しつ半時ばかり戦いましたが、長尾孫六の馬より下り立った一揆の勢五百余人は、縦横に駆け回されて、一人も残らず討たれたので、桃井(直常)も長尾左衛門も、敵わないと思ったか、十方に分かれて落ち行きました。


続く


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by santalab | 2016-01-30 16:43 | 太平記 | Comments(0)

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