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「太平記」新田左兵衛佐義興自害事(その1)

さるほどに尊氏たかうぢきやう逝去せいきよあつて後、筑紫はかやうに乱れぬといへども、東国はいまだ静かなり。ここに故新田左中将さちゆうじやう義貞いえさだの子息左兵衛さひやうゑすけ義興よしおき・その弟武蔵の少将せうしやう義宗よしむね・故脇屋刑部ぎやうぶの卿義助よしすけの子息右衛門うゑもんの佐義治よしはる三人、この三四年が間越後ゑちごの国に城郭じやうくわくを構へ半国ばかりを打ち従へて居たりけるを、武蔵・上野の者どもの中より、二心なき由の連署れんじよ起請きしやうを書きて、「両三人の御中に一人いちにん東国へ御越し候へ。大将にし奉て義兵を上げ候はん」とぞ申したりける。義宗・義治二人ににんは思慮深き人なりければ、この頃の人の心左右なく頼み難しとて許容されず。義興は大早おほはやりにして、忠功人に先立たん事をいつも心に懸けて思はれければ、是非の遠慮を廻らさるるまでもなく、わづかに郎従百余人を行き連れたる旅人の様に見せて、密かに武蔵の国へぞ越えられける。元来ぐわんらい張本ちやうぼんともがらは申すに及ばず、いにしへ新田義貞よしさだに忠功ありしやから、今畠山入道道誓だうせいに恨みを含む兵、密かに音信いんしんを通じ、しきりにこびを入つて催促に従ふべき由を申す者多かりければ、義興今は身を寄する所多くなりて、上野・武蔵両国の間にその勢ひやうやくきざせり。




やがて尊氏卿(足利尊氏)逝去の後は、筑紫は乱れましたが、東国はまだ静かでした。ここに故新田左中将義貞(新田義貞)の子息左兵衛佐義興(新田義興。新田義貞の次男)・その弟武蔵少将義宗(新田義宗。義貞の三男)・故脇屋刑部卿義助(脇屋義助。義貞の弟)の子息右衛門佐義治(脇屋義治)三人は、この三四年の間に越後国に城郭を構え半国ばかりを打ち従えていましたが、武蔵・上野の者どもの中より、二心ない由の連署の起請([自分の言動に偽りのないことや約束に違背しないことを、神仏に誓って書き記すこと。また、その文書])を書いて、「両三人の中から一人東国へこ越しくださいませ。大将になして義兵を上げようと思っております」と申し伝えました。義宗・義治二人は思慮深い人殿したので、義興は大逸りの者にして、忠功人に先立つことをいつも心に懸けていたので、是非の遠慮を廻らすまでもなく、わずかに郎従([家来])百余人を行き連れの旅人の様に見せて、密かに武蔵国へ向かいました。元より張本([悪事などを起こすもと。また,その人])輩は申すに及ばず、かつて新田義貞に忠功のあった一族、今に畠山入道道誓(畠山国清くにきよ)に恨みを含む兵は、密かに音信を通じ、しきりに媚に入って催促に従うと申す者が多くいましたので、義興は身を寄せる所が多くなって、上野・武蔵両国にその勢いをようやく現わそうとしていました。


続く


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by santalab | 2016-01-31 08:50 | 太平記 | Comments(0)

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