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「太平記」新田左兵衛佐義興自害事(その4)

かくて数日すじつあつて竹沢密かに新田兵衛ひやうゑすけ殿へ人を奉て申しけるは、「親にて候ひし入道、故新田殿の御手にしよくし、元弘の鎌倉合戦に忠を抽きんで候ひき。それがしまた先年武蔵野の御合戦の時、御方に参つて忠戦致し候ひし条、定めて思し召し忘れ候はじ。その後は世の転変てんぺん度々に及びて、御座ござの所をも存知仕つらで候ひつる間、力なくしばらくの命を助けて御代を待ち候はん為に、畠山禅門にしよくして候ひつるが、心中の趣き気色にあらはれ候ひけるに依つて、差したる罪科ざいくわとも思へぬ事に一所懸命の地を没収もつしゆせらる。結句討つべしなんどの沙汰に及び候ひし間、すなはち武蔵の御陣を逃げ出でて、当時は深山幽谷しんざんいうこくに隠れ居たるていにて候ふ。それがしがこの間の不義をだに御免あるべきにて候はば、御内に奉公の身と罷りなり候ひて、自然の御大事には御命に替はり参らせ候ふべし」と、懇ろにぞ申し入れたりける。兵衛ひやうゑすけこれを聞き給ひて、しばらくは申すところまことしからずとて見参をもし給はずして、密儀みつぎなんどを知らされる事もなかりければ、竹沢なほも心中のいつはらざるところを顕して近付き奉らんため、京都へ人を上せ、ある宮の御所より少将殿と申しける上臈女房の、年十六七ばかりなる、容色ようしよく類なく、心様いうにやさしくおはしけるを、とかく申し下して、先づ己が養君やうくんにし奉り、御装束しやうぞく女房にようばうたちに至るまで、様々に仕立て密かに兵衛の佐殿の方へぞ出だしたりける。




この後数日あって竹沢は密かに新田兵衛佐殿(新田義興よしおき。新田義貞の次男)へ人を遣わして申すには、「親でございます入道は、故新田殿(新田義貞)の手に属し、元弘の鎌倉合戦での忠はひときわのものでございました。某もまた先年の武蔵野の合戦の時には、味方に参って忠戦をいたしました。よもや忘れてはおられないでしょう。その後は世の転変度々に及んで、おられる所も知らぬままに、仕方なくしばらくの命を助けて代を待つために、畠山禅門(畠山国清くにきよ=道誓)に付いておりましたが、心中は顔に表れて、大した罪科とも思える咎により一所懸命([領地])の地を没収されました。果てには討つべしなどの沙汰に及び、たちまち武蔵の陣を逃げ出て、今は深山幽谷に隠れているようなものでございます。某のこれまでの不義をご免あるお積りですれば、身内に参り奉公の身となって、大事には命に代わり参らせましょう」と、懇ろに申し入れました。兵衛佐(新田義興)はこれを聞いて、しばらくは申すところ真実ではなかろうと見参もせず、密儀などを知らせることもありませんでしたが、竹沢はなおも心中が偽りでないことを示して近付くために、京都へ人を上せ、ある宮の御所より少将殿と申す上臈女房の、年十六七ばかりで、姿かたち類なく、心様に勝れた者を、どうにかして申し下すと、まず己の養君にして、装束女房たちにいたるまで、様々に仕立てて密かに兵衛佐殿に送り出しました。


続く


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by santalab | 2016-01-31 09:12 | 太平記 | Comments(0)

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