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「太平記」新田左兵衛佐義興自害事(その8)

その後より竹沢我が力にてはなほ討ち得じと思ひければ、畠山殿の方へ使ひを立て、「兵衛ひやうゑすけ殿の隠れ居られて候ふ所をば委細ゐさいに存知仕つて候へども、小勢にては打ち漏らしぬと思へ候ふ。急ぎ一族にて候ふ江戸遠江とほたふみかみと下野守とを下され候へ。彼らによくよく評定ひやうぢやうして討ち奉り候はん」とぞ申しける。畠山大夫入道にふだう大きに悦びて、やがて江戸遠江の守とそのをひ下野しもつけの守を下されけるが、討つ手を下す由兵衛の佐伝へ聞かば、在所を替へて隔つる事もありとて、江戸伯父甥が所領、稲毛のしやう十二郷じふにがう闕所けつしよになしてすなはち給人きふにんをぞ付けられける。江戸伯父甥大きにいつはり怒つて、やがて稲毛の庄へ馳せ下り、給人を追ひ出だして城郭じやうくわくを構へ、一族以下の兵五百余騎招き集めて、「ただ畠山殿に向かひ一矢射て討ち死にせん」とぞ罵りける。




その後よりは竹沢は我が力では討つことはできまいと思い、畠山殿(畠山国清くにきよ)の方へ使いを立て、「兵衛佐殿(新田義興よしおき。新田義貞の次男)の隠れておられる所は、詳しく知っておりますが、小勢では討ち漏らすのではないかと思っております。急ぎ一族の江戸遠江守(江戸長門ながかど?)と下野守とを下されますよう。彼らとよくよく評定して討ちたいと思います」と申しました。畠山大夫入道(畠山国清=道誓)はたいそうよろこんで、たちまち江戸遠江守とその甥下野守を下すことにしmしたが、討手を下すことを兵衛佐が伝え聞けば、在所を変えることもあろうかと、江戸伯父甥の所領、稲毛庄(現神奈川県川崎市高津区・中原区)十二郷を闕所([所有者・権利者を欠いた土地])にしてすぐさま給人([幕府や荘園領主から給田などを与えられた人])を決めました。江戸伯父甥はたいそう怒った振りをして、やがて稲毛庄へ馳せ下り、給人を追い出して城郭を構え、一族以下の兵五百余騎呼び集めて、「ただ畠山殿に向かい一矢射て討ち死にしようぞ」と声を上げました。


続く


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by santalab | 2016-01-31 09:51 | 太平記 | Comments(0)

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