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「太平記」安東入道自害の事付漢王陵事(その2)

先々出仕の如く、たふの辻にて馬より下り、空しき迹を見廻みまはせば、今朝までは、奇麗なる大廈高牆たいかかうしやうの構へ、たちまちに灰燼くわいじんと成つて、須臾転変しゆゆにてんべんの煙を残し、昨日まで遊びたはむれせし親類しんるゐ朋友も、多く戦場に死して、盛者必衰しやうじやひつすゐかばねを残せり。悲しみのうちの悲しみに、安東なみだを抑へて惘然ばうぜんたるところに、新田殿の北の台の御使ひとて、薄様うすやうに書きたる文を捧げたり。何事ぞとて開き見れば、「鎌倉の有様今はさてとこそうけたまはり候へ。いかにもしてこなたへ御出で候へ。このほどの式をば身に替へても可申宥候」なんど、様々に書かれたり。これを見て安東おほきに色を損じてまうしけるは、「栴檀の林に入る者は、不染ころもおのづかかうばしといへり。武士の女房たる者は、けなげなる心を一つ持ちてこそ、その家をも継ぎ子孫の名をもあらはす事なれ。されば昔漢の高祖かうそ項羽かううと戦ひける時、王陵わうりようと云ふ者城を構へて籠もつたりしを、楚これを攻むるに更に不落。この時楚の兵相謀あひはかつて云はく、『王陵は母の為に忠孝を存ずる事不浅。所詮王陵が母を捕へて楯のおもてに当てて城を攻むるほどならば、王陵矢を射る事を不得して降人かうにんに出づる事可有』とてひそかにかの母を捕へてけり。




先々出仕の時と同じく、塔の辻で馬より下り、空しき跡を見廻せば、今朝までは、奇麗なる大廈([りっぱな構えの建物])高牆([高い土塀])の構えは、たちまちに灰燼となって、須臾([一瞬])にして転変([物事が 移り変わること])の煙を残し、昨日まで遊び戯れていた親類<朋友も、多くが戦場に死んで、盛者必衰の屍を残すばかりでした。悲しみの中の悲しみに、安東(安藤聖秀しやうしう)は涙を押さえて呆然とするところに、新田殿(新田義貞)の北の台の御使いと申す者が、薄様に書いた文を持って参りました。何事ぞと開き見れば、「鎌倉の有様今はどうにかしてこちらへお出でくださいますよう。このほどの式([事の次第])をこの身に替えても宥め申したいと思っております」と、様々に書いてありました。これを見て安東は気落ちして申すには、「栴檀の林に入る者は、染めぬ衣も香るという。武士の女房となる者は、気丈な心を一つ持ってこそ、その家を継ぎ子孫の名を顕わすものである。昔漢の高祖(劉邦。前漢の初代皇帝)と楚の項羽が戦った時、王陵(秦末から前漢の人で、劉邦に仕えた将軍)という者が城を構えて籠もったので、楚はこれを攻めましたが城を落とすことができませんでした。この時楚の兵は相談して項羽に申し上げるには、『王陵は母への忠孝が浅くありません。王陵の母を捕えて楯の面に縛り付けて攻めれば、王陵は矢を射ることができずに降人となって城を出て来ることでしょう』と申したので密かに王陵の母を捕らえさせました。


続く


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by santalab | 2016-02-01 12:11 | 太平記 | Comments(0)

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