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「太平記」新田左兵衛佐義興自害事(その10)

「大勢にて御通り候はば人の見咎め奉る事もこそ候へ」とて、兵衛ひやうゑすけの郎従どもをば、かねて皆抜々ぬけぬけに鎌倉へ遣はしたり。世良田せらだ右馬の助・弾正だんじやうちゆう・大島周防すはうかみ土肥とひの三郎佐衛門・市河五郎・由良兵庫ひやうごの助・同じく新左衛門しんざゑもんじよう南瀬口みなせくち六郎ろくらうわづかに十三人を打ち連れて、さらに他人をば不雑、のみを差したる舟にこみ乗りて、矢口の渡りに押し出だす。これを三途さんづの大河とは、思ひ寄らぬぞあはれなる。つらつらこれをたとふれば、無常の虎に追はれて煩悩ぼんなうの大河を渡れば、三毒の大蛇浮かび出でてこれを呑まんと舌をべ、その餐害ざんがいを遁れんと岸のひたひなる草の根に命を係けて取り付きたれば、黒白二つの月の鼠がその草の根をかぶるなる、無常のたとへに異ならず。この矢口の渡りと申すは、おもて四町しちやうに余りて浪けはしく底深し。渡し守すでに櫓を押して河の半ばを渡る時、取り外したる由にて、櫓櫂ろかいを河に落とし入れ、二つの鑿を同時に抜きて、二人ににんの水手同じ様に河にかはかはと飛び入つて、うぶに入つてぞ逃げ去りける。これを見て、向かふの岸より兵四五百騎駆け出でて鬨をどつと作れば、跡より鬨を合はせて、「愚かなる人々かな。たばかるとは知らぬか。あれを見よ」と欺いて、えびらを叩いてぞ笑ひける。




「大勢でお通りになれれば人が見咎めることもございましょう」と申したので、兵衛佐(新田義興よしおき。新田義貞の次男)は郎従([家来])どもを、分けて鎌倉に遣わしました。義興は世良田右馬助(世良田義周よしちか)・井弾正忠(井伊興種)・大島周防守・土肥三郎佐衛門(土肥義昌?)・市河五郎(市川忠光?)・由良兵庫助・同じく新左衛門尉・南瀬口六郎わずかに十三人を打ち連れて、さらに他人を含めず、鑿を差した舟に乗って、矢口の渡り(現東京都大田区矢口)に舟を押し出しました。これを三途の大河とは、思いも寄らぬことこそ哀れでした。よくよくこれを例えれば、無常の虎(象?)に追われて煩悩の大河を渡れば、三毒([貪=欲深さ・瞋=怒り・癡=迷妄])の大蛇浮かび出てこれを呑もうと舌を出し、その餐害を遁れようと岸面の草の根に命をかけて取り付けば、黒白二つの月の鼠([象に追われた人が木の根を伝わって井戸に隠れたところ、井戸の周囲には四匹の毒蛇がいてかみつこうとし、また、木の根を黒と白二匹の鼠がかじろうとしていたという説話])がその草の根をかじろうといていたという、無常の例えに異なりませんでした。この矢口の渡りというのは、川面四町(約400m)に余りて浪は激しく底深い所でした。渡し守すでに櫓を押して川の半ばを渡った時、取り外した振りをして、櫓櫂を川に落とすと、二つの鑿を同時に抜いて、二人の水手は同時に川に飛び込むと、うぶ(産土?人の生まれた土地)に逃げ去りました。これを見て、向こう岸より兵四五百騎が駆け出して鬨をどっと作れば、後より鬨を合わせて、「愚かな人々よ。騙されたことを知らぬのか。あれを見てみよ」とうそぶいて、箙([矢を入れて右腰につける武具])を叩いて笑いました。


続く


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by santalab | 2016-02-02 20:29 | 太平記 | Comments(0)

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