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「太平記」安東入道自害の事付漢王陵事(その3)

かの母心のうちに思ひけるは、王陵我に仕ふる事大舜たいしゆん曾参そうしん高孝かうかうにも過ぎたり。我もし楯のおもてに被縛城に向かふほどならば、王陵悲しみに不堪して、城を被落事可有。不如無幾程命を為子孫捨んにはと思ひ定めて、みづから剣の上に死してこそ、遂に王陵が名をば上げたりしか。我ただ今まで武恩に浴して、人に被知身となれり。我只今まで武恩に浴して、人に被知身となれり。今事の急なるに臨んで、降人かうにんに出でたらば、人あに恥を知つたる者と思はんや。されば女性心によしやうごころにてたとひ加様かやうの事を被云とも、義貞よしさだ勇士の義を知り給はば、さる事やあるべき、可被制。また義貞たとひ敵の心ざしを計らん為にのたまふとも、北の方は我が方様の名を失はじと思はれば、堅く可被辞、ただ似るを友とする方見うたてさ、子孫の為に不被憑」と、一度ひとたびは恨み一度は怒つて、かの使ひの見る前にて、その文を刀に拳り加へて、腹掻き切つてぞ失せ給ひける。




王陵(秦末から前漢の人。劉邦に仕えた将軍)の母は心の内に思うには、王陵のわたしへの孝行は大舜(舜。中国神話に登場する君主。五帝の一人)・曾参(曾子。孔子の弟子)にも過ぎたものです。わたしがもし楯の面に縛り付けられて城に向かえば、王陵は悲しみに堪えかねて、城を出ることでしょう。残りわずかの命ならば子孫のために捨てようと思い定めて、自ら剣の上に伏して死んだ、こうして遂に王陵は名を上げたのだ。わしは今まで武恩を蒙り、人に知られる身となった。今事の急なるに臨んで、降人になったならば、人はどうして恥を知る者と思うであろう。ならば女性心にてそのような事を申すとも、義貞(新田義貞)は勇士の義を知る者なれば、敵を許すはずがない、我を誅すであろう。また義貞がたとえ敵の心ざしのほどを計るために申したことであろうとも、北の方は我が方の名を失いたくないと思っておることだろう、ならば固く辞退申す、似たる者を友とす([性格や年齢の似た者同士が仲よくなるものだということ])と申すが馬鹿げた言い草よ、子孫にこのようなことを頼まれるわけにはいかぬ」と、一度は恨み一度は怒って、かの使いが見る前で、その文を刀に握り加えて、腹を掻き切って失せました。


続く


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by santalab | 2016-02-03 08:52 | 太平記 | Comments(0)

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