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「太平記」大内介降参事(その2)

見所けんじよの高懸けとかやの風情して、かやうの事をまうすとも、書伝ての片端を聞きたる人は古へを引きて、さても百里奚はくりけいの君を棄てて、秦のぼく公に仕へ、管夷吾くわんいごくわん公に降つてわずかの公子糾こうしきうと不死しは如何に、とぞ思ひ給ふらん。それはまことに似たる事は似たれども、なる事は是ならず。かの百里奚は、虞公の、垂棘すゐきよくの壁、屈産くつさんの乗のまひなひにふけつて路をしんに開きしかば、諌めけれども叶ふまじき程を知りて、秦の穆公に仕へき。管夷吾くわんいご召忽せうこつと共に不死、子路非仁譏りしかば、豈如匹夫匹婦自経溝壑無知乎と、文宣王ぶんせんわうこれを塞ぎ給へり。されば古賢の世ををさめん為に二君に仕へしと、今の人の欲を先として降人かうにんになるとは、雲泥万里の隔てその中にありと言ひつべし。




見所の高懸け([芸の上で悟り得たところ])とか申すところの趣きは、このようなことを申すのでしょうが、書伝て([古人が書き残した書物])の片端を聞く人は古を引いて、さても百里奚(中国春秋時代の秦の宰相)は虞(虞仲ぐちゆう。中国周王朝の古公亶父ここうたんぽの子)の君を棄てて、秦の穆公(中国春秋時代の秦の第九代公)に仕え、管夷吾(管仲。中国春秋時代の斉の政治家)は桓公(斉の第十六代君主)に降ってわずかの公子糾(襄公じようこう=斉の第十四代君主。の弟)と死ななかったのはどういうこと(公子糾は桓公によって斬首された)、と思うや。今とそれは似たようなことではあるが、同じようなものが同じとは限らないということよ。かの百里奚は、虞公(虞仲)が、垂棘の璧(晋国累代の宝物)、屈産の乗(屈=名馬の産地。で産した駿馬四頭)の贈り物に心を奪われて、(晋からかくへの)通り路を開いたので、百里奚は諌めたが聞く耳を持たないことを悟って、秦の穆公に仕えたのだ。管夷吾(管仲)は召忽(管仲とともに糾の側近)とともに死なず、子路(孔門十哲の一人)が(孔子に)仁にあらずと批判したが、匹夫匹婦が溝壑(『志士不忘在溝壑』=『志士は山野の溝に自分の遺体を晒すことを恐れてはならない』。孟子の言葉)を知るはずがなかろうと、文宣王(孔子。唐の玄宗皇帝=唐のが孔子に贈った諡号しがう)がこれを諌めたという(正しくは『桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也』=『桓公は諸侯を合わせるのに、兵力を用いなかった、これこそ管仲の力ではないか』)。ならば古賢は世を治めるために二君に仕えたのだ、今の人はまず欲のために降人になるが、雲泥万里([非常に大きな差異のたとえ。天と地ほどかけ離れている こと])の隔てがあるのだと言いました。


続く


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by santalab | 2016-02-05 08:37 | 太平記 | Comments(0)

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