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「太平記」大内介降参事(その3)

ここに大内おほうちの介は多年宮方みやがたにて周防・長門両国を打ちたひらげて、無恐方居たりけるが、いかが思ひけん、貞治ぢやうぢ三年の春の頃よりにはかに心変じて、この間押さへて領知する処の両国を賜はらば、御方に可参由を、将軍羽林の方へ申したりければ、西国静謐せいひつもとゐたるべしとて、やがて所望の国を恩補される。これによつて今まで二心なかりける厚東こうとう駿河のかみ、長門の国の守護職を召し放され恨みを含みければ、すなはち長門の国を落ちて筑紫へ押し渡り、菊池と一つになりて、かへつて大内おほうちの介を攻めんとす。大内の介さへぎつて、三千余騎を率して豊後の国に押し寄せ、菊池と戦ひけるが、第二度のいくさに負けて菊池が勢に囲まれければ、かううて命を助かり、己が国へかへつて後、京都へぞ上りける。在京の間数万貫の銭貨せんくわ新渡しんとの唐物ら、美を尽くして、奉行・頭人・評定衆・傾城けいせい・田楽・猿楽・遁世者とんせいしやまでこれを引き与へける間、この人に勝る御用人あるまじと、いまだ見へたる事もなき先に、誉めぬ人こそなかりけれ。世上の毀誉きよは非善悪、人間の用捨は在貧福とは、今の時をや申すべき。




ここに大内介(大内弘世ひろよ)は多年宮方に付いて周防・長門両国を打ち平らげて、恐れる者もいませんでしたが、何を思ったか、貞治三年(1364)の春頃よりにわかに心変わりして、この間に支配した両国を賜わるならば、味方に参ると、将軍羽林(室町幕府初代将軍、足利義詮よしあきら)の方へ申したので、西国静謐([世の中が穏やかに治まっていること])の基になると、たちまち所望の国を恩補([恩賞として職に任ぜられること])しました。こうして今まで二心なかった厚東駿河守(厚東義武よしたけ?)は、長門国の守護職を解かれて恨みを含み、たちまち長門国を落ちて筑紫へ押し渡り、菊池(菊池武光たけみつ)と一つになって、大内介(大内弘世ひろよ)を攻めようとしました。大内介は逆に、三千余騎を率して豊後国に押し寄せ、菊池と戦いましたが、二度目の軍に負けて菊池勢に囲まれて、降を請うて命を助かり、長門国へ帰った後、京都に上りました。在京の間数万貫の銭貨・新渡([新しく外国から渡来した物])の唐物ら、美を尽くして、奉行・頭人・評定衆・傾城([美女])・田楽([平安時代中期に成立した日本の伝統芸能])・猿楽([平安時代に成立した日本の伝統芸能])・遁世者([俗世を遁れて仏門に入った人])までもこれらを与えたので、この人に勝る御用人はあるまいと、まだなる前から、誉めない人はありませんでした。世上の毀誉([誹りと誉れ])は善悪ではなく、人間の用捨は貧福に依らずとは、今の時代のことを申すのでしょう。


続く


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by santalab | 2016-02-05 08:41 | 太平記 | Comments(0)

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