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「太平記」中殿御会事(その1)

貞治ぢやうぢ六年三月十八日、長講堂ちやうかうだうへ行幸あり。これは後白河法皇の御遠忌ゑんき追賁つゐひの御為に、三日まで御逗留とうりうあつて法華御読経みどきやうあり。安居院あぐゐ良憲りやうけん法印・竹中たけのうち僧正そうじやう慈照じせう、導師にぞ参られける。難有法会ほふゑなれば、聴聞の緇素しそ不随喜云言ふ者なし。惣じてこの君御治天ちてんの間、よろづ継絶、興廃おはします叡慮なりしかば、諸事の御遊ぎよいうに於いて、不尽言ふ事不御座。ゆゑに中殿の御会ごくわいは、累世るゐせの規摸なり。しかるをこの御世にいまだ無其沙汰。仍連々に思し召し立ちしかば、関白殿くわんばくどのその外の近臣内々被仰合、中殿の宸宴しんえんは大儀なる上、毎度天下の凶事にて先規不快せんきふくわいの由、面々一同に申されければ、重ねて勅定ちよくぢやうありけるは、聖人有謂、詩三百一言さんぱくいちげん思無邪と。さればをさまれる代の音こゑは安くして楽しむ。乱れたる代の音は恨みて怒るといへり。




貞治六年(1367)の三月十八日に、後光厳天皇(北朝第四代天皇)は長講堂(現京都市下京区にある寺)に行幸になられました。これは後白河法皇(第七十七代天皇)の遠忌(後白河院の崩御は1192なので175年忌)の追賁([追善供養])のためでした、三日間逗留されて法華経を読経されました(法華八講)。安居院(現京都市上京区にあった寺院)の良憲法印・竹中僧正慈照が、導師に参られました。前代未聞の法会でしたので、聴聞の緇素([僧と俗人])がよろこばないはずはありませんでした。この君(後白河法皇)が治天の間、あるものは絶えあるものは継ぎ、興廃様々でしたので、諸事の御遊は、尽きることがありませんでした。こうして中殿の御会は、累代大規摸なものでした。けれども後村上天皇の世にその沙汰はありませんでした。なおも連々([続いていて絶えることのない様])として思い立たれておりましたので、関白殿(二条良基よしもと)その外の近臣が内々に申し合わせて、中殿の宸宴は大儀である上、毎度天下の凶事で前例では不例であると、面々一同に申すと、重ねて勅定がありました、聖人(孔子)はこう言った、詩経(中国最古の詩篇)には三百の詩があるが一言で言えば偽りのない純粋な心を表しているのだと(『詩三百、一言以蔽之、曰思無邪』。『論語』)。なれば余が治める代が安泰ならば楽しむべきである。乱れた世は恨み怒ったような音がするものぞと申されました。


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by santalab | 2016-02-05 12:31 | 太平記 | Comments(0)

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