Santa Lab's Blog


「太平記」新将軍京落事(その4)

ここにて先日の恥をもすすがんとて、手痛き軍をせんずらんと、思ひまうけてとほりけるに、高秀たかひで、相摸のかみに気を呑まれて臆してやありけん、矢の一つをも射懸けず、をめをめとこそ通しけれ。さては山崎にてぞ、一軍ひといくさあらんずらんと思ふところに、今川伊予の守も敵ふまじとや思ひけん、一戦も戦はで、鳥羽の秋山へ引き退く。これを見てここかしこに陣を取つたる勢ども、いまだ敵も近付かざるに、落ち支度をのみぞし居たりける。「かくては合戦はかばかしからじ。先づ京を落ちてこそ、東国・北国の勢をも待ため」とて、持明院の主上しゆしやうをば警固し奉り、同じき八日の暁に、宰相さいしやう中将ちゆうじやう殿、苦集滅道くづめぢを経て勢多を通り、近江の武佐寺むさでらへ落ち給ふ。




ここで先日の恥を雪ぐために、激しい軍をしようではないかと、覚悟を決めた上で高秀(佐々木高秀)は通ったので、相摸守(細川清氏きようぢ)に圧倒されて臆したか、矢の一つも射懸けず、恥とも思わずそのまま通しました。ならば山崎で、一軍あろうと思うところに、今川伊予守(今川貞臣さだおみ)も敵うまいと思ったか、一戦も戦わず、鳥羽の秋山に引き退きました。これを見てここかしこに陣取った勢どもは、まだ敵も近付かないうちに、落ち支度を始めました。「これでは合戦は敵うまい。ひとまず京を落ちて、東国・北国の勢を待つことにしよう」と、持明院の主上(北朝第四代後光厳天皇)を警固して、同じ十二月八日の暁に、宰相中将殿(北畠顕能あきよし)は、苦集滅道([四諦したい]=[四つの真理の意。苦諦・集諦じつたい・滅諦・道諦の総称])を経て勢多(現在滋賀県大津市勢田)を通り、近江の武佐寺(現滋賀県近江八幡市にある広済寺)に落ちて行きました。


続く


[PR]
by santalab | 2016-02-05 18:20 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」亀寿殿令落信濃事付左...      「太平記」新将軍京落事(その3) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧