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「太平記」芳賀兵衛入道軍事(その6)

されども左馬の頭元より力人に勝れ、心飽くまで早くして、はだへたわまず目逃れず、黄石公くわうせきこうが伝へしところ、李道翁りだうおうさづけし道、機にたつて心とせし太刀利きなれば、あるひは兜の鉢を真二つに打ち割り、引く太刀に廻る敵を斬り据ゑ、あるひは鎧の胴中を不懸打ち切つて、余る太刀にては、左に懸かる敵を払はる。そのやいばに胸を冷やして敵へて近付かず。東西開け前後晴れて、いよいよ大将馬に放れぬと、見知らぬ敵もなかりけり。大高たいかう左馬の助重成しげなり遥かにこれを見て、急ぎ馳せ寄り弓手ゆんでに下り立て、「あなおびたたしの只今の御振る舞ひ候ふや。昔の和泉いづみ朝比奈あさひなもこれまではよも候はじ」と、覿面てきめんに奉褒、「早やこの馬に召され候へ」と申せば、左馬の頭悦びて、馬の内跨うちまたにゆらりと飛び乗つて、鞍坪くらつぼなほり様に、「平家のさむらひ後藤兵衛が主の馬に乗つて逃げたりしには、遥かに替はりたる御振る舞ひかな」と、「只今こそまことに大高の名は相応さうおうしたれ」と、互ひにぞ褒め返されける。




けれども左馬頭(足利基氏もとうぢ。足利尊氏の四男)は元来力は人に勝り、機敏な心の持ち主でしたので、臆することなく敵から逃げ回ることもありませんでした、また黄石公(中国秦代の隠士。張良に兵書を与えたという)が伝えた兵法、李道翁(?)が授けた道を、修めた太刀の名人でしたので、あるいは兜の鉢を真二つに打ち割り、引く太刀で後ろに回る敵を斬り、あるいは鎧の胴中を容易く打ち斬って、返す太刀で、左に懸かる敵を払いました。その刃に度肝を抜かれて敵はまったく近付こうとしませんでした。東西が開け前後が空くと、いよいよ大将が馬から放れたと、見知らぬ敵はいませんでした。大高左馬助重成(大高重成)は遥かにこれを見て、急ぎ馳せ寄り弓手([左])に下り立ち、「なんともあっぱれな振る舞いでございます。昔の和泉(泉親衡ちかひら。泉親衡の乱(1213)の首謀者。この乱は鎌倉幕府第二代執権、北条義時よしとき=平家。を排除しようとした内乱)・朝比奈(朝比奈義秀よしひで。和田義盛よしもりの子)もこれほどではなかったことでしょう」と、左馬頭を目の前にして褒めて、「急ぎこの馬に乗られよ」と申せば、左馬頭(基氏)はよろこんで、馬に飛び乗ると、鞍壺に乗りながら、「平家の侍後藤兵衛(後藤盛長もりなが)は主(平重衡しげひら。平清盛の五男)の馬に乗って逃げたが、遥かに優れた振る舞いぞ」と申して、「まこと大高の名の通りよ」と、互いに褒め合いました。


続く


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by santalab | 2016-02-06 19:33 | 太平記 | Comments(0)

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