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「太平記」芳賀兵衛入道軍事(その8)

左馬のかみの御方に、岩松治部ぢぶ大輔たいふはよくおもんばかりあつて軍の変を計る人なりければ、大将左馬の頭殿の鎧の毛を、敵いかさま見知りぬらんと推量して、御大事に替はらんと思はれければ、我が今まで着給へる紺糸の鎧に、鎌倉殿の白糸の鎧をにはかに着替へ奉りてぞ控へたる。しばらくあつて両陣また乱れ合うて入れ替へ入れ替へ戦ひける。岡本をかもとの信濃のかみ白糸の鎧着たる岩松を左馬の頭殿ぞと目に懸けて、組んで討たんと相近付く。岩松はまた元来左馬の頭の命に代はらんと鎧を着替へし上は、なじかは命を惜しむべき。二人ににんともに閑々しづしづと馬を歩ませ寄つて、あはひすでに草鹿くさじしあづちたけになりける時、岩松が郎等らうどう金井かなゐ新左衛門しんざゑもん、岩松が馬の前に馳せ塞がつて、岡本と引つ組み馬よりどうと落ちけるが、互ひにちうにて差し違へて、共に命を止めてけり。岩松は左馬の頭の命に代はらんと鎧を着替へ、金井は岩松が命に代はつて討ち死にす。主従共に義を守りて節を重んずる忠貞、あり難かるべき人々なり。その外命をかろんじ義を重んじて、ここにて勝負を決せんと、相互あひたがひにぞ戦ひける。




左馬頭(足利基氏もとうぢ。足利尊氏の四男)の味方で、岩松治部大輔(岩松満純みつずみ)は思慮深く軍の変を測る人でしたので、大将左馬頭殿の鎧を、敵はきっと見知っているであろうと推量して、大事に替わろうと思い、今まで着ていた紺糸の鎧を、鎌倉殿(基氏)の白糸の鎧をにわかに替えて控えました。しばらくあって両陣はまた乱れ合い入れ替え入れ替え戦いました。岡本信濃守(岡本富高とみたか芳賀はが高名たかな禅可ぜんかの弟らしい)は白糸の鎧を着た岩松を左馬頭殿(基氏)よと目に懸けて、組んで討とうと近付きました。岩松(満純)もまた元より左馬頭の命に代はろうと鎧を着替えた上は、命は惜しくありませんでした。二人ともにゆっくりとと馬を歩ませ寄って、その間合いすでに草鹿([歩射の的。板で鹿の姿を作って革や布 を張り、中に綿を入れてつるしたもの])の垜([弓場で、的をかけるために、土または 細かい川砂を土手のように固めた盛り土])の丈になった時、岩松(満純)の郎等([家来])金井新左衛門が、岩松の馬の前に馳せ塞がって、岡本(岡本富高とみたか)と引っ組んで馬からどっと落ちて、互いに宙で刺し違えて、ともに死にました。岩松は左馬頭(基氏)の命に代わろうと鎧を着替え、金井は岩松の命に代わって討ち死にしました。主従ともに義を守って節を重んじるその忠貞([忠義と貞節])のほどは、他にいないような人々でした。このほかの者どもも命を軽んじ義を重んじて、ここで勝負を決しようと、ともに戦いました。


続く


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by santalab | 2016-02-06 19:44 | 太平記 | Comments(0)

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