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「太平記」九州探題下向事付李将軍陣中禁女事(その1)

筑紫には、小弐せうに大友おほとも以下の将軍方しやうぐんがたの勢ども、菊池に追ひ据へられて、すでにまた九州宮方の一統に成りぬと見へければ、探題を下して、小弐・大友に力を合はせでは敵ふまじとて、尾張をはりの大夫入道にふだうの子息左京さきやうの大夫氏経うぢつねを、九州の探題に成してぞ被下ける。左京の大夫先づ兵庫に下つて、四国・中国の勢をもよほしけれども、付き従ふ勢もなかりければ、さりとては道より非可引返とて、僅かに二百四五十騎の勢にて、すでに艫綱ともづなを解きけるに、左京の大夫の屋形船を始めとして、士卒の小船どもに至るまで、傾城けいせい十人じふにん二十人乗せぬ船はなかりけり。




筑紫では、小弐(少弐頼尚よりひさ)・大友(大友氏時うぢとき)以下の将軍方の勢が、菊池(菊池武光たけみつ)に追い込まれて、すでにまた九州は宮方(南朝)が統一すると思えたので、六波羅探題より兵を下して、小弐(頼尚)・大友(氏時)に力を合わせずには敵わないと、尾張大夫入道(斯波しば高経たかつね)の子息左京大夫氏経(斯波氏経)を、九州探題に就けて下しました。左京大夫(斯波氏経)はまず兵庫に下り、四国・中国の勢を集めましたが、付き従う勢はいませんでした、けれども道より引き返すことはできないと、わずかに二百四五十騎の勢で、すでに兵船の艫綱([船尾を繋ぐ綱])を解いていましたが、左京大夫(斯波氏経)の屋形船をはじめ、士卒([軍兵])の小船にいたるまで、傾城([美女])を十人二十人乗せない船はありませんでした。


続く


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by santalab | 2016-02-07 14:01 | 太平記 | Comments(0)

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